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'''島津 久賀'''(しまづ ひさか、[[天正]]10年([[1582年]]) - [[正保]]2年([[1645年]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]にかけての武将、[[薩摩藩|鹿児島藩士]]。薩摩[[島津氏]]の分家、[[豊州家]]7代当主。父は6代当主[[島津朝久]]、母は[[島津義弘]]の娘(御屋地)。通称'''藤次郎'''。官は[[豊前国|豊前]]守・[[豊後国|豊後]]守。室は[[川上久辰]]の女。子に[[島津久守|久守]](8代)。[[伊予国|伊予]][[伊予松山藩|松山藩]]2代藩主・[[松平定頼]]の伯父。
 
==経歴 生涯 ==
[[文禄]]2年([[1593年]])、[[文禄の役]]の際に父の朝久が[[李氏朝鮮|朝鮮]]で病死すると、12歳で朝鮮へ渡海した。[[慶長の役]]にも参加し、[[泗川の戦い]]でも活躍した。[[慶長]]10年([[1605年]])、[[島津義弘]]が[[岩剣城|帖佐]]から[[加治木城|加治木]]へ居城を移すと、帖佐の[[地頭]]に就任する。[[寛永]]11年([[1634年]])、[[黒木]]の領主となっている。[[薩摩藩]]初代藩主[[島津忠恒|島津家久]]の[[家老|城代家老]]となり、2代藩主[[島津光久|光久]]にも仕えた。正保2年(1645年)没。
 
久賀以後、豊州家は帖佐・黒木の領主として代々[[家老]]などの要職を歴任している。
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{{DEFAULTSORT:しまつひさか}}
[[category:戦国武将]]
[[Category:江戸時代薩摩藩の人物]]
[[Category:島津氏|ひさか]]
[[Category:1582年生]]