「サンティアーゴ・デ・クーバ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m r2.6.4) (ロボットによる 変更: zh:圣地亚哥-德古巴
Yasumi (会話 | 投稿記録)
76行目:
[[18世紀]]末や[[19世紀]]初頭に、[[1791年]]に起きた[[ハイチ革命]]により[[ハイチ]]から亡命した[[フランス人]]が流入し、[[サトウキビ]]の栽培地域が拡大された。その影響で、市内の通りには[[スペイン]]と[[フランス]]の様式で建てられた建物が今なお現存している。
 
[[1898年]]、この地でキューバにおける[[米西戦争]]の戦火が発生し、[[サンチャゴ・デ・キューバ海戦]]が起きた。戦争は終わったが後のキューバ[[独立]]に寄与する結果となった。
 
また、[[1953年]]には[[フィデル・カストロ]]率いる160名の青年兵士が、キューバ革命の端緒となるキューバ陸軍[[モンカダ兵営]]の襲撃を行なった。現在、サンティアーゴ・デ・クーバは、[[マンガン]]や[[銅]]などの[[鉱物]]と[[砂糖]]や[[タバコ]]の船積みが行なわれる港があることで知られ、[[パナマ]]国際航路の中継港になっている。また、キューバ縦断道路の東側の基点でもある。市内にオリエンテ大学がある。