「サルサ (音楽)」の版間の差分

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キューバの他の音楽ジャンルも多かれ少なかれソンの影響を受け融合し、様々な亜流のソンが誕生して変質していった。その中でも1940年代には、[[ソン・モントゥーノ]]が人気となる。ソンの中のモントゥーノ([[コールアンドレスポンス]])のパートを強調して、よりアフリカ的な色彩を強め、[[トレス (楽器)|トレス]]に代わって[[サックス]]や[[トランペット]]、[[ピアノ]]が楽団の編成に加わるようになった。かつてのソンの楽団の編成はセステート(6人編成)、あるいはセプテート(7人編成)であったが、1940年代になるとキューバの楽団は大規模になった。
 
[[ジャズ]]に影響を受けた大規模な編成でミュージシャンらがデスカルガ(ジャムセッション)を繰り返す中、ソン・モントゥーノのリズムから[[マンボ]]が生まれた。1944年にはアンセルモ・サカサスが「エル・マンボ」を録音し、[[メキシコシティ]]では[[ペレス・プラード]]が1949年に「[[マンボNo.5]]」を録音するなど、1940年代はラテン音楽の主流がマンボへと移っていった時期である。この時期ニューヨークでは、[[アルセニオ・ロドリゲス]]やフェリックス・チャポティーン、マチート、[[ティト・プエンテ]]らが、大規模な楽団をそれぞれ率いて、パラディウム・ナイトクラブを拠点に活躍。そのスピード感とダイナミックなサウンドで、マンボは一大ブームとなった。
 
[[第二次世界大戦]]後の1940年代後半になると、ニューヨークには[[ヒスパニック]]系移民が爆発的に増加した。50年代に入ると、[[チャランガ]]編成による[[チャチャチャ]]や[[パチャンガ]]もキューバから導入され、様々なスタイルのキューバ由来の音楽が存在した。