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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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'''マヌエル・コムネノス・ドゥーカス'''('''Μανουήλ Κομνηνός Δούκας''', Manouel Komnenos Doukas, 生年不詳-[[1241年]]没)は[[エピロス専制侯国|エピロス・テッサロニキ専制公]]([[1230年]]-[[1237年]])。中世ギリシア語表記ではマヌイル・コムニノス・ドゥカス。[[テッサロニキ]]「[[皇帝]]」[[テオドロス1世コムネノス・ドゥーカス]]の弟。父系ではアンゲロス(Άγγελος, Angelos)であるが実際にはその名前を使用していない。