「モンゴル民主化運動」の版間の差分

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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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[[1985年]]以降、[[ジャムビィン・バトムンフ]][[書記長]]が進めていた[[体制内改革]]により、その土壌は作られていた。
 
1989年12月10日、サンジャースレンギーン・ゾリクらによって民主化デモが実行されたことに端を発する<ref>「現代モンゴル 迷走するグローバリゼーション」p35-38 モリス・ロッサビ著 小長谷有紀監訳 小林志歩訳 明石書店 2007年7月31日初版第1刷</ref>。
1989年、交通労働者が打った[[ストライキ]]に端を発する{{要出典|date=2006年11月}}。
 
1990年112{{要出典|date=2006年11月}}、17日には[[人権]]尊重などを求める意見書が発表され<ref>「現代モンゴル 迷走するグローバリゼーション」p45 モリス・ロッサビ著 小長谷有紀監訳 小林志歩訳 明石書店 2007年7月31日初版第1刷</ref>、[[モンゴル国立大学]][[大学院生]]の[[サンジャースレンギーン・ゾリク]]をリーダーとする[[モンゴル民主連合]]をはじめ、[[モンゴル社会民主主義運動]]、[[モンゴル進歩連合]]が結成される。[[モンゴル人民革命党]]政治局員の解任要求も提出された。
 
1990年3月15日、[[モンゴル人民革命党]][[中央委員会]]第8回総会で、[[ユムジャーギィン・ツェデンバル]]元書記長の下で政治迫害された人々に対する[[名誉]]回復と、[[ソビエト連邦|ソ連]]滞在中だった元書記長の党籍剥奪を決定。バトムンフ書記長と政治局員全員の辞任を承認すると共に、ツェデンバル書記長の下で改革的過ぎると批判されてい外国経済関係大臣だっ{{要出典|date=2006年11月}}穏健派の[[ボジャヴィサルマーギーン・オチルバト]]を新書記長に選出<ref>「現代モンゴル 迷走するグローバリゼーション」p35-38 モリス・ロッサビ著 小長谷有紀監訳 小林志歩訳 明石書店 2007年7月31日初版第1刷</ref>
 
1990年43{{要出典|date=2006年11月}}には民主化運動は拡大し民主各派は[[複数政党制]]の採用と、政府に対するモンゴル人民革命党の[[党の指導性]]を否定することを要求<ref>「現代モンゴル 迷走するグローバリゼーション」p57 モリス・ロッサビ著 小長谷有紀監訳 小林志歩訳 明石書店 2007年7月31日初版第1刷</ref>
 
モンゴル人民革命党は、これらの要求を受け入れ、複数政党制と[[大統領]]制を採用。[[貿易]]の自由化と、[[ソ連軍]]撤兵を実現した。[[1992年]]の新憲法制定によって、制度面での民主化は完成した。