「マーキュリー・アトラス6号」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
FUJIMOTO (会話 | 投稿記録)
West (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
14行目:
| apogee = {{convert|265|km|nmi}}
| perigee = {{convert|159|km|nmi}}
| period = 88.5 min.
| inclination = 32.5°
| distance = {{convert|121794|km|mi}}
22行目:
| crew_photo = Mercury 6, John H Glenn Jr.jpg
| crew_caption = John Herschel Glenn, Jr.
| previous = [[Imageファイル:Mercury insignia.jpg|32px]] [[w:Mercury-Atlas 5|MA-5]]
| next = [[Imageファイル:Aurora 7 insignia proper.jpg|34px]] [[マーキュリー・アトラス7号|MA-7]]
}}
 
'''マーキュリー・アトラス6号'''(マーキュリー・アトラス6ごう、Mercury-Atlas 6)は[[アメリカ合衆国]]が[[マーキュリー計画]]で打ち上げた有人[[宇宙船]]。コールサインはフレンドシップ7 (Friendship 7)。[[1962年]]2月20日に[[ケープカナベラル空軍基地]]より打ち上げられた。
 
33 ⟶ 32行目:
 
== 飛行中のトラブル ==
[[Imageファイル:Glenn62.jpg|thumb|left|250px|宇宙船内のジョン・グレン]]
フレンドシップ7は最低7周以上の地球周回飛行を行う予定であったが、2週目にトラブルが発生した。
予備の酸素タンクが12%減少している事が判明。さらに宇宙船着水時の衝撃緩衝用エアバッグシステムのセンサーである「セグメント51」が異常値を示し、それは宇宙船の耐熱シールドが脱落しかかっていることを意味したため、3周目の飛行後に大気圏に再突入することが決定された。
 
グレンは当初何が起こっているかは分かっていなかったが、管制センターが着水時の衝撃緩衝用エアバッグの展開スイッチがOFFであるかどうか何度も訊ねたため、次第に何か問題が起こっているのではないかと疑い始めた。
 
再突入時に管制センターは着水時の衝撃緩衝用エアバッグのスイッチを「自動」にして、ライトが点灯するかどうかを確認するように指示した。
ここに至ってグレンは耐熱シールドが脱落しかかっていることにようやく気付いた。しかもライトは点灯せず、装置を作動させたのに何の音もしなかった。
 
== 大気圏再突入 ==
[[Imageファイル:Mercury Friendship7 Bassett Celestia.jpg|thumbnail|left|350px|飛行中のフレンドシップ7のCG 逆推進ロケット装置が耐熱シールド上に取り付けられている]]
通常、逆推進ロケット噴射後に逆推進ロケット装置を切り離してから大気圏再突入を行うのだが、逆推進ロケット装置を固定している金具が耐熱シールドの脱落を防いでくれることを期待して、逆推進ロケット装置を切り離さずに大気圏再突入を行うことになった。
 
ジョン・グレンは後に、「大気圏再突入時の熱がピークに達した頃に逆推進ロケット装置が外れたと感じたが、火の玉になった破片が次々と窓の外を横切るのを見て、耐熱シールドが粉々になっているのではないかと不安になった」と語っている。(彼が見た破片は逆推進ロケットが再突入時の熱で破壊されたものであった。)
 
後の調査で耐熱シールドには異常はなく、セグメント51のセンサー故障が原因である事が判明した。
52 ⟶ 51行目:
== 着水・回収 ==
フレンドシップ7は大西洋に無事着水し、回収船が機体を船上に引き上げた。
グレン上部ハッチ開けて外に出ることになっていたが、宇宙船内があまりに暑かったため緊急脱出用の横のハッチを(火薬でハッチが瞬時に吹き飛ぶ)ようになっている横の緊急脱出用ハッチで手っ取り早く外に出ることにした。周囲の人間に離れるように指示して、点火スイッチを押した。グレンは破片で拳を怪我したが、笑顔で船外へ出て来た。第一声は「船内はとても暑かった」であった。
 
[[ファイル:Friendship 7 the National Air and Space Museum.JPG|right|thumb|235px|国立航空宇宙博物館に展示されているフレンドシップ7]]