「長岡山の戦い」の版間の差分

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9月19日に庄内藩はすべての前線を引き払って、本国への撤収命令を出していたが、寒河江にいた隊には、指令が届かなかった結果起こった戦闘である。
 
20夜、西郷と黒田は白岩に宿泊して、良く21日に慈恩寺を通って、谷地に出て宿泊して、22日谷地を出て西部街道を経て、新庄方面に向かった。西郷、黒田たちと分かれた米沢藩を主力とした別隊は、海味(西川町海味)に参謀局(本部)を置き、23日米沢藩、薩摩藩の隊が志津([[西川町]][[志津]])に進軍して、庄内軍と対峙したが、戦闘はなかった。庄内藩に和睦を勧める、米沢藩の使者が行った。
 
23日庄内藩の使者が米沢藩の先導で、海味に来て、参謀局に降伏謝罪の嘆願書謄本を提出して、25日に[[古口]]([[最上郡]][[戸沢村]]古口)の鎮撫軍の本営で参謀黒田清隆に面会し、降伏を申し出た。そして、西郷隆盛と黒田清隆ら鎮撫軍は鶴岡城に入る。