「ブルー・オイスター・カルト」の版間の差分

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『アルバム名(リリース年)』を『アルバム名』(リリース年)表記に変更
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=== メジャーデビューから活動期 ===
[[File:Hook-and-cross white.svg|thumb|変形十字のシンボルマーク|right|200px]]
1972年、[[コロムビア・レコード|コロムビア]]より『Blue Öyster Cult』でデビュー。変形十字のシンボルマークもこの時から使用が開始されている<small>([[#バンド名とシンボルの由来]]参照)</small>。アルバムはビルボード200にチャートインし、[[バーズ]]や[[アリス・クーパー]]、[[マハヴィシュヌ・オーケストラ]]らと盛んにツアーを行って知名度を上げていった。コロムビアは彼らをアメリカ版[[ブラック・サバス]]として売り出そうと試み、『Tyranny and Mutation(1973)、『Secret Treaties(1974)とコンスタントにアルバムをリリースする。
 
ライブ・アルバム『On your feet or on your knees(1975)の好調なセールスにより広く知られるようになり、次いで代表作ともいえる『Agents of Fortune(1976)をリリースする。『Agents of Fortune』からのシングル「(Don't Fear) The Reaper」<ref> 日本では、最初シングルA面"Sinful Love(邦題・罪深き恋)"、 B面"(Don't Fear) The Reaper(邦題・死神)" で、典型的B面ヒットとなった</ref>が全米12位まで上昇し、アルバムは[[ゴールド・ディスク]]を獲得する。1980年代のハード・ロック・ブーム以前にこの数字を出したハード・ロック・バンドはさほど多くない。
 
『Spectres(1977)では、[[ゴジラ]]をテーマにしたシングル「Godzilla」が、 エリック・ブルームによる日本語ナレーションを挿入したこともあり、ハード・ロック通の間でネタとして評判になるも、前作ほどの成功は収められなかった。翌1978年、ライブ・アルバム『Some Enchanted Evening(1978)をリリース。プラチナ・アルバムを獲得する。コンサートにおいては、レーザー・システムを導入するなど、派手なパフォーマンスでも注目を浴びる。
 
1979年、バンドはそれまでの全てのアルバムをプロデュースしていたサンディ・パールマンに代わり、トム・ワーマンを迎えて『Mirrors(1979)をリリースする。しかし完成したアルバムは重さに欠けるとして不評を買う。続いて、[[マーティン・バーチ]]をプロデューサーに起用してアルバム『Cultösaurus Erectus(1980)をリリース。マーティン・バーチの起用は、当時ブラック・サバスのマネージメントをも請け負っていたパールマンの引きによるものであった。つまりパールマンはブラック・サバスの『ヘヴン・アンド・ヘル(1980)のサウンドをブルー・オイスター・カルトに持ち込もうとしたのである。この試みは一定の成果を挙げ、アルバムはイギリスにおいてもヒットする(英チャート18位)。
 
同じくマーティン・バーチのプロデュースした『Fire of Unknown Origin(1981)では、シングル「Burnin' For You」が全米トップ40入りするヒットとなる。この曲は当初"バック・ダーマ"・ローザーのソロ・プロジェクト用に書かれたものであったが(ブルー・オイスター・カルトには合わないと判断された)、パールマンの指示でアルバムに収録されることとなった。また、本作収録の「Veteran of the Psychic Wars」の歌詞は[[マイケル・ムアコック]]が書いたことで知られている。このアルバムに伴うツアーの最中、ドラマーのアルバート・ブーチャードが失踪するという事件も発生した。この時に代役となったのは、バンドのライティング担当技師だったリック・ダウニーである<ref>リック・ダウニーと[[シン・リジィ]]のドラマーであった[[ブライアン・ダウニー]]に血縁関係は無い</ref>。このツアー音源を元に、ライブ・アルバム『Extraterrestrial Live(1982)をリリース。アルバート・ブーチャードがドラムを叩いているのは2曲だけで、残りはリック・ダウニーのプレイである。ダウニーはその後正式なドラマーとしてバンドに加入。この頃アルバート・ブーチャードは、バンド結成の発端であり、1967年にパールマンが作った企画「Imaginos」の実現に取り組んでいた。
 
=== 分裂 ===
プロデューサーに[[ブルース・フェアバーン]]をむかえ、『The Revölution by Night(1983)をリリース。バンドはアルバムの出来に満足していたが、セールス的には前スタジオ作に届かなかった。このアルバムに伴うツアーを終えてリック・ダウニーは脱退。1985年、バンドは2週間の西海岸ツアーをブッキングされるがドラマー不在のままだったため、急遽アルバート・ブーチャードを呼び戻してツアーは行われたが、ツアー終了とともにアルバート・ブーチャードは再び離脱。続いてキーボーディストのアラン・レイニアも脱退してしまう。レーベルとの契約上バンドは仕方なく『Club Ninja(1986)をリリース。ドラマーはジミー・ウィルコックス。キーボーディストはトミー・ズヴォンチェク。[[産業ロック]]的でもあるこのアルバムは、そこそこのセールスをあげたものの、以前のブルー・オイスター・カルトを知るファンからの評価は低かった。更に1987年、ベースのジョー・ブーチャードも脱退。オリジナル・メンバーがエリック・ブルームと"バック・ダーマ"・ローザーの2人だけとなり、バンドは空中分解する。
 
=== イマジノス ===
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=== 1990年代以降 ===
CMCレコードと契約。[[サイバーパンク]]系SF作家のジョン・シャーリーのコンセプトおよび歌詞提供による『Heaven Forbid(1998)および『Curse Of The Hidden Mirror(2001)をリリースするも、以降スタジオ盤のリリースはなく、エリック・ブルームと"バック・ダーマ"・ローザーの2人のオリジナルメンバーを中心にメンバーチェンジを繰り返しながら、主に全盛期の曲をメインとしたライブ活動を行っている。現在は[[ユニバーサルミュージック (米国)|ユニバーサルミュージック]]傘下の[[サンクチュアリ・レコード]]に所属している。
 
その他、1991年にリリースされたライブビデオからの音源で製作された『Live 1976(1994)。2002年にリリースされたライブDVDからの音源で製作された『A Long Day's Night(2004)などがある。
 
== バンド名とシンボルの由来==