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'''ジョン・ミルトン・ヘイ''' ('''John Milton Hay''', [[1838年]][[10月8日]] – [[1905年]][[7月1日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[国務長官]]。[[ウィリアム・マッキンリー|マッキンリー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]](在任1897 - 1901)、[[セオドア・ルーズヴェルト]]大統領(在任1901 - 1909)の時代に国務長官を歴任した。中国に関する「門戸開放宣言」を発表して、[[帝国主義]]政策を推進した。
 
==生い立ちと経歴==
ヘイは[[インディアナ州]][[セーレム]]に生まれる。[[ブラウン大学]]を卒業した後、[[エイブラハム・リンカーン]]の秘書としてその経歴が始まった。彼の日記および[[南北戦争]]中に著した書籍は歴史の基礎的資料である。彼はリンカーンによるビクスビー未亡人(南北戦争で息子を亡くした)への手紙の本当の作者として考えられている。リンカーンがフォード劇場で狙撃されたとき、ヘイはその場に居合わせた。ヘイは同僚の秘書、ジョン・G・ニコレイと共に10巻に及ぶリンカーンの伝記を著した。1897年に友人であった[[ウィリアム・マッキンリー]]が大統領に就任すると、ヘイは駐イギリス大使に任命される。1898年8月には国務長官に任命され、1898年のパリ条約協定に尽力した。
 
== 門戸開放宣言 ==
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[[貿易]]活動において、中国[[市場]]に割り込むことが目的だった。
 
==晩年==
1904年にヘイはアメリカ芸術文学アカデミーの最初の会員7名のうちの一人となる。1905年に彼は死去し、[[オハイオ州]][[クリーブランド]]のレイク・ビュー墓地に埋葬された。
 
ヘイはセオドア・ルーズヴェルト大統領に宛てた手紙で[[米西戦争]]を「素晴らしい小さな戦争」と評したことで有名である。彼はまた[[ゴア・ヴァイダル]]の歴史小説『''Lincoln''』『''Empire''』に現れる。
 
ブラウン大学のジョン・ヘイ図書館は[[ジョン・ロックフェラー2世]]によって1964年に建造され、1910年から集められたコレクションが収蔵された。1971年に物理化学書がニュー・サイエンス図書館へ移され、ジョン・ヘイ図書館はもっぱら特別コレクションのための収蔵所となった。
 
== 関連項目 ==