'''フリーソフトウェア運動''' ({{lang-en-short|Free Software Movement,略記 FSM}}, <small>ソフトウェア自由化運動</small>)''' は、[[フリーソフトウェア]]の原則をサポート支援する活動である。[[リチャード・ストールマン]]はその創始者のひとり一人で、あり代表者でもある。彼を支持する人たちは、自分らは達を自由な世界に属しているすと述べ考えている。
フリーソフトウェアこの運動の参加者は、[[w:free software|フリーソフトウェア]]に列挙されているよう「ソフトウェアの自由」を享受することを妨害するのは道徳違反だと考えている。非フリーなソフトウェアは、そのソフトウェアを利用する人たちがそのソフトウェアについて勉強したり、その仲間を助けたりすることを妨害しているのだから非道徳的である、とリチャード・ストールマンは主張している。
なお、フリーソフトウェア運動の手法については合意が取れているとは言い難い。法律制定をすることでソフトウェアをフリーにするべきだ、と考えている人もいるし、独占的ソフトウェアをボイコットすることでそれをやろうとしている人もいる。フリーソフトウェアは独占的ソフトウェアよりも技術的に優れているのだから、最終的には自由市場において独占的ソフトウェアを打ち負かすに違いない、だから何もしなくても時間が問題を解決してくれる、と考えている人もいる。
他方なお、「フリーソフトウェア」という言葉が好きでこの運動の手法に参加しついては合意が取れている人たちの大多数とは言い難い。法律制定をすることでソフトウェアを自由化するべきだと考える者もいれば、「独占的ソフトウェア」が厳密な意味で社会道徳のボイコットに反するとは思よって行おうとする者もいないる。でも、彼らフリーソフトウェアは、この種の自由は、独占的ソフトウェアのよりも技術的な品質とは別に優れているの問題としてだから、確たる権利最終的に基づくは自由市場において独占的ソフトウェアの一つの特性として(社会的を打ち負かすにも違いない、また実用的にだから何も)、価値しなくても時間があるものであ問題を解決してくれる、と主張し考えている人もいる。
彼らはさらに、「フリーソフトウェア」という言葉を、「[[オープンソース]]」ソフトウェアは独占的ソフトウェアよりも常に優れている、といった主張から距離を置くために用いたりするかもしれない(実際に、明らかにそうではない場合もある。少なくとも短期的には)。 ▼
オープンソースの擁護者たちが技術的な利点に拘泥することで、その利用者たちが、短期的な便利さを求め自身の自由(とその長期的な利益)を売り渡してしまうのを促してしまうことについて、フリーウェア運動参加者は反対している。 ▼
なぜならそのような短期的な利益は独占的ソフトウェアでも提供できるものだからだ。
[[オープンソース]]支持者は他方、「フリーソフトウェア(彼らの言」という言葉が好きでこの運動に参加している人たちの大多数は、「オープンソース独占的ソフトウェア」)のが厳密な意味で社会道徳的な価値につい反するとは思ってよりも、実利的いな価値について盛んに議論。している。かし、彼らは、[[フリーこの種の自由はソフトウェア財団]]が独占の技術的な品質とは別の問題として、確たる権利に基づくソフトウェアを十把の一からげにつの特性として非難してい(社会的にも、また実用的にも)、価値があるものであることについて全く同意主張していないる。
フリーソフトウェアを使ったり、その開発を手助けしたり、あるはそれを楽しんだりしているプログラマの中にも、生計を立てるために独占的なソフトウェアを開発している多くのプログラマがいる。彼らは、自分の行動は道義に反している、と考えていない。定義より、フリーソフトウェアはオープンソースソフトウェアの部分集合である。 ▼
▲彼らはさらに、 彼らは「フリーソフトウェア」という言葉を、「[[オープンソース]]」ソフトウェアは独占的ソフトウェアよりも常に優れている 、」といった主張から距離を置く ため為に用い たりするかもしれない (実際に、明らか(少なくとも短期的に はそうではない場合もある 。少なくとも短期的には)。
フリーソフトウェア運動のメンバーの多くは、[[著作権法]]や[[特許法]]に支配されている他のもの(ドキュメントなど)も解放されるべきだ、と信じている。他の人たちは、いくつかの著作物、例えば著者の信念をねじ曲げてしまうようなことを防ぐための意見表明とか、小説とか、[[GNU General Public License|GPL]]自体については自由に変更可能にするべきではない、ということを認めている。 ▼
▲オープンソースの擁護者たちが技術的な利点に拘泥することで、その利用者たちが 、短期的な便利さを求め自身の自由(とその長期的な利益)を売り渡してしまうのを促してしまうことについて、フリーウェア運動参加者は反対している 。なぜならそのような短期的な利益は独占的ソフトウェアでも提供できるものだからだ。
▲[[オープンソース]]支持者は、フリーソフトウェア(彼らの言う「オープンソースソフトウェア」)の道徳的な価値についてよりも、実利的な価値について盛んに議論している。彼らは[[フリーソフトウェア財団]]が独占的ソフトウェアを十把一からげにして非難していることについて全く同意していない。フリーソフトウェアを使ったり、その開発を手助けしたり、あるはそれを楽しんだりしているプログラマの中にも、生計を立てるために独占的なソフトウェアを開発している多くのプログラマがいる。彼らは 、自分の行動は道義に反している 、と は考えていない。定義より、フリーソフトウェアはオープンソースソフトウェアの部分集合である。
▲フリーソフトウェア運動のメンバーの多くは、[[著作権法]]や[[特許法]]に支配されている他のもの( ドキュメントなど文書等)も解放されるべきだ 、と信じて いる。おり、他の人たちは 、いくつかの著作物、例えば著者の信念をねじ曲げてしまうようなことを防ぐ ため為の意見表明 とか、や小説 とか、[[GNU General Public License|GPL]] 自体については自由に変更可能にす るべきではない 、ということを認めている。
==関連項目==
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