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海洋において海軍が担う具体的な戦略的役割は[[海軍戦略]]の理論によって規定されている。アメリカの軍人[[アルフレッド・セイヤー・マハン]]は『[[海上権力史論]]』や『[[海軍戦略 (マハン)|海軍戦略]]』において海洋戦略を理論化し、海軍の使命は[[制海権]](海上優勢)の獲得にあると論じた<ref>北村謙一訳『マハン海上権力史論』(原書房)と井伊順彦訳『マハン海軍戦略』(中央公論新社)</ref>。[[制海権]]とはイギリスの軍人[[フィリップ・ハワード・コロム]]の『[[海戦論]]』によって初めて提唱されえた概念であり、海洋において航海を管制する権力である。これを保持することは味方の船舶の航行を保全し、同時に敵の航行する船舶を阻止もしくは破壊することとなる。軍事作戦の用語法では前者を[[護衛船団|海上護衛]]、後者を[[通商破壊]]と呼び、海軍の任務の一部としている。しかしマハンは海軍が制海権を確立するための方法として通商破壊だけでは不十分であると考えていたために敵の艦隊を撃滅する艦隊決戦が必要であると強調している。敵の艦隊を破壊することによって、敵の商船隊をも完全に撃滅することが可能となり、したがって敵に対する[[海上封鎖]]が実現できることとなる。一方でマハンとは異なる見地から『[[海洋戦略の諸原則]]』を著したイギリスの戦略研究者ジュリアン・コーベットは陸軍と海軍の相補的な関係を踏まえて艦隊決戦による制海権の確立を絶対視していない<ref>高橋弘道編著『戦略論大系8 コーベット』(芙蓉書房出版)にて和訳がある。</ref>。海洋という地理的特性を考えれば制海権を完全に確立することは現実的に不可能であり、むしろ海上護衛と通商破壊こそが海軍の本質的な任務であると捉えていた。そして戦争全体における海軍の戦略的任務として海洋から大陸に対して適時適所に[[戦力投射]]能力を発揮することを主張した。これまでの議論から海軍とは海上交通路を排他的に確保するために制海権を掌握することが重要であることはわかるが、そのために海軍がどのようにあるべきかは議論が分かれる問題である。
 
海軍という軍事組織の具体的な構成要素とは船舶である。[[英語]]で海軍を表すnavyの語源は[[ラテン語]]の"navis"であり、これは[[軍艦]]、[[貨物船]]、[[漁船]]などあらゆる船舶の集合体を意味していた。工学的には船舶は液体から浮力と復元性を得ながら機関の推進力で航行する構造物であり、その内実は[[船舶工学]]の[[技術革新]]や使用目的の複雑化に伴って歴史的に変化してきた。そのため現代の海軍では航空打撃力を持つ[[航空母艦]]、潜水作戦能力を持つ[[潜水艦]]、水上艦艇である[[戦艦]]や[[巡洋艦]]、[[駆逐艦]]などの艦艇を擁しており、地域や時代によっては海軍歩兵や[[海兵隊]]などの陸上戦力、対潜戦闘能力を持つ航空戦力、[[核兵器]]などを運用する場合もある。海軍は航空打撃戦、対水上戦闘、対潜戦闘、機雷戦、電子戦、水陸両用作戦、海上護衛戦、通商破壊、洋上補給などさまざまな海上作戦を遂行するために、諸々の作戦能力の均整がとれた艦隊を編制することが求められる。しかしながら、このような一般原則に反して海軍は地域や時代に応じてさまざまな形態に変容してきた。マハンは艦隊決戦の重要性を認識していたために大型艦を中心とする艦隊を主張し、[[アメリカ海軍]]の艦隊は積極的に海外に派遣する外洋海軍としての能力が期待された。しかし[[水雷艇]]や潜水艦が登場した頃、[[フランス海軍]]では青年学派によって当時優勢な[[海軍力]]を誇っていた[[イギリス海軍]]に対抗するために外洋に[[機動]]力がある巡洋艦を、沿岸には潜水艇や水雷艇を導入する守勢的な海軍の構想が提唱され、ドイツの軍人ティルピッツもイギリス海軍と直接対決しない抑止力としての危険艦隊の構想を主張した。このような沿岸海軍の構想は[[ロシア海軍]]でも青年学派の影響で受け入れていたが、ロシア革命後には陸主海従の方針を採り、[[キューバ危機]]が起こるまでは外洋に展開する能力を期待されなかった<ref>各国の海軍政策の歴史的経緯を概観したものに防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』(かや書房)がある。</ref>。このように海軍の在り方はその海軍を取り巻く戦略環境によって可変的なものであり、また軍事技術や戦略思想の変化にも影響を受けるものだと考えられる。
 
==海軍史==