「部長刑事」の版間の差分

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ドラマの製作に当たっては、一時期を除き、[[大阪府警察]]本部が「応援」という形で協力を行った。
 
=== 『連続アクチュアルドラマ・部長刑事』時代 ===
最初のシリーズである「'''連続アクチュアルドラマ・部長刑事'''」は、関西を中心に活躍する[[俳優]]や[[タレント]]が出演、毎回原則として1話完結(作品によっては複数週をまたぐものもあった)で大阪の庶民的な観点から様々な事件の犯人などの人間模様を描き続けた。オープニングのタイトルバックには、かつて大阪府警察本部刑事部捜査第一課で「浪速のコロンボ」とまで呼ばれた名刑事、森川覚一([[1975年]]3月定年退官)の眼光鋭い目が使われていた。
 
放送開始当初から[[1965年]]頃までは[[生放送]]で製作されていた。当然やり直しはきかず、入念にリハーサルを行ったにも関わらず本番で台詞を忘れるタレントが続出した。特に初代部長刑事の中村栄二はよく台詞を飛ばし、[[タバコ]]を吸ってごまかしていた。また、カメラに映らない椅子の後ろや柱に書き込んでおいた台詞(カンニングペーパー)をスタッフに消されて、当てにしていたタレントが台詞に詰まって慌てたり、死体役が瞬きするなど、本番中のハプニングは頻繁に発生していたようである。
オープニングのタイトルバックには、かつて大阪府警察本部刑事部捜査第一課で「浪速のコロンボ」とまで呼ばれた名刑事、森川覚一([[1975年]]3月定年退官)の眼光鋭い目が使われていた。
 
放送開始当初から[[1965年]]頃までは[[生放送]]で製作されていた。当然やり直しはきかず、入念にリハーサルを行ったにも関わらず本番で台詞を忘れるタレントが続出した。
 
特に初代部長刑事の中村栄二はよく台詞を飛ばし、[[タバコ]]を吸ってごまかしていた。また、カメラに映らない椅子の後ろや柱に書き込んでおいた台詞(カンニングペーパー)をスタッフに消されて、当てにしていたタレントが台詞に詰まって慌てたり、死体役が瞬きするなど、本番中のハプニングは頻繁に発生していたようである。
 
[[筒井康隆]]が脚本を書いた回が2回ある。
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これらの脚本はそれぞれ、放送後に『[[SFアドベンチャー]]』に掲載され、さらに筒井の戯曲集『筒井康隆劇場 ジーザス・クライスト・トリックスター』(1982年[[新潮社]])、『筒井康隆劇場 スイート・ホームズ探偵』(1989年新潮社)に収録された。
 
この他に、年1回シナリオコンクールが開催され、最優秀作品には賞金50万円と、ドラマ化の権利が与えられた。84年以降は主役の部長刑事を二人に増やし、所属班も二つに分けて回毎にローテーションで出演させるという『[[特別機動捜査隊]]』で見せた手法が用いられた。こうした歴史のもと、番組は30年1600回以上という連続ドラマとしては前人未到の記録を打ち立てた。
 
84年以降は主役の部長刑事を二人に増やし、所属班も二つに分けて回毎にローテーションで出演させるという『[[特別機動捜査隊]]』で見せた手法が用いられた。
 
こうした歴史のもと番組は30年1600回以上という連続ドラマとしては前人未到の記録を打ち立てた。
 
=== 『新・部長刑事 アーバンポリス24』時代 ===