「至聖三者聖スピリドン・セルビア正教会聖堂」の版間の差分

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[[18世紀]]、自由港であったトリエステに、[[オスマン帝国]]から流入して移住したギリシャ人およびセルビア人は、[[正教徒]]としての共同体を形成した。[[1751年]]に[[マリア・テレジア]]が宗教上の寛容令を発布したことは、正教の共同体形成を容易にしていた。こうしてギリシャ人によって聖ニコラオス教会、セルビア人によって聖スピリドン教会が建てられた(後者が本記事で扱っている教会である)<ref name="neo">[http://www.neomagazine.com/2010_11_november/_hellenes.html NEO, November 2010: Hellenes Without Borders - The Greeks of Trieste]</ref>。
 
現在建っている聖堂は[[1869年]]に再建されたものである。建設に当たっては[[バロック建築]]や[[新古典主義建築]]より、[[ビザンティン建築]]([[ネオ・ビザンティン建築]])が様式として志向された。現地のギリシャ人からは、バロック・オーストリア・イタリアの色彩をもつトリエステに、セルビア人がその建築様式によってアイデンティティの刻印を押したと評されることがある<ref name="neo" />。
 
現在でも本教会は活発に活動している<ref name="sr" />。