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'''マオー''' ([[カタルーニャ語]]:'''Maó'''、[[カスティーリャ語]]:''Mahón''<small>マオン</small>)は、[[スペイン]]、[[メノルカ島]]の都市。島の東部に位置する。マオー港は長さ5km、幅900m、天然港としては世界第二の深さを持つ。
 
マオーの名は、[[ハンニバル]]の弟である[[カルタゴ]]の将軍[[マゴ|マゴ・バルカ]]にちなむ。彼は[[紀元前205年]]頃、この地を隠れ家にしていたと考えられている。その後[[ローマ帝国]]支配下に入り、町はポルトゥス・マゴニス(Portus Magonis)と改名された。ローマ帝国衰退後、[[ヴァンダル族]]、[[東ローマ帝国]]が支配した。しばしば[[ノルマン人]]と[[ムーア人]]の攻撃を受け、最終的に[[903年]]に[[コルドバ太守国]]に占領・併合された。
 
[[1287年]]、ムーア人支配下のマオーを[[アラゴン王国|アラゴン]]王[[アルフォンソ3世 (アラゴン王)|アルフォンソ3世]]が征服し、アラゴン王国の臣下[[マリョルカ王国]]へ併合した。その後も[[バルバリア海賊]]の攻撃を受けた。マオー港は西地中海有数の要所であり、[[スペイン]]王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]はマオー港南部にサン・フェリペ要塞を建設させた。
 
[[スペイン継承戦争]]最中の1707[[1708]]、メノルカ島は[[イギリス]]に占領された。([[ミノルカ島の占領]])、[[1713年]]の[[ユトレヒト条約]]でイギリス領有が確定された。18世紀のイギリス支配時代、マオーはメノルカ島の首府であり、知事の住居が置かれた。[[1802年]]にメノルカはスペインへ返還された。現在、メノルカ島議会(''Consell Insular de Menorca'')がマオーに置かれている。
[[Image:Mahon-Altstadt.jpg|thumb|left|マオーの歴史地区]]