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[[2002年]]、社会活動家として、「{{仮リンク|平和のための女性リベリア大衆行動|en|Women of Liberia Mass Action for Peace}}」(Women of Liberia Mass Action for Peace)を組織した。この平和運動は魚市場で祈り歌う女性たちの運動として始まった。そして[[キリスト教徒]]、[[ムスリム]]を問わず平和を希求する[[非暴力]]の抵抗運動として広まって行った。
レイマの指導のもとに、女性たちはチャールズ・テーラー大統領との会見に成功し、大統領から[[ガーナ共和国]]で開催される和平交渉への参加を確約させることに成功、レイマは女性たちを率いて女性たちの代表団をガーナに送り和平圧力を加えた。[[アクラ]]の大統領官邸前で無言の抗議集会を行い、こうした運動の結果、膠着していた和平交渉も合意に達した。レイマらの運動は[[2003年]]、[[第二次リベリア内戦]]の終結をもたらし、[[選出もしくは任命された女性の元首の一覧‎|女性大統領]]・[[エレン・ジョンソン・サーリーフ]]の誕生に繋がった。
 
レイマらは平和を象徴する真っ白い[[Tシャツ]]を着て運動を行った。Tシャツにはナンバリングが示され、その数は数千となった。女性たちはこうして暴力や政府に反対する政治勢力であることを示した。レイマらの運動は、他の[[アフリカ]]諸国へも平和を求める運動として広がりを見せている。