「小山ゆう」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
17行目:
}}
{{漫画}}
'''小山 ゆう'''(こやま ゆう、[[男性]]、[[1948年]][[2月20日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。本名・大竹由次(おおたけ・よしじ)
== 概要 ==
代表作は『[[がんばれ元気]]』、『[[お〜い!竜馬]]』、『[[あずみ]]』など。『がんばれ元気』、『おれは直角』、『お〜い!竜馬』は[[テレビアニメ]]化され、『あずみ』は[[上戸彩]]主演で映画化された。
ペンネームの小山ゆうは、恩人である[[小池一夫]]の「小」、[[山本又一朗]]の「山」、そして自身の本名である由次の「ゆう」を組み合わせたものである<ref name="utsu293">宇都宮滋一『「ダメ!」と言われてメガヒット 名作マンガの知られざる制作現場』[[東邦出版]]、2003年、p.293</ref>。
== 略歴 ==
[[静岡県]][[小笠郡]][[菊川町 (静岡県)|菊川町]](現[[菊川市]])で専業農家の長男として出生。[[静岡県立島田商業高等学校]]卒業後、[[作曲家]]を目指して上京した<ref>宇都宮滋一(2003)、pp.271-272</ref>。上京まで漫画はほとんど読まず、興味も薄かったという<ref>小山ゆう「特別寄稿」『文藝別冊 KAWADE夢ムック ちばてつや 漫画家生活55周年記念号』[[河出書房新社]]、2011年、p.72</ref>。
上京後、新聞広告で見て入った[[アニメ制作会社]]のテレビ動画株式会社で[[アニメーター]]のアルバイトを1年ほどする。休憩時間中に[[さいとう・たかを]]の『[[無用ノ牙]]』の模写をしていたのがきっかけで<ref>根岸康雄『まんが家インタビュー オレのまんが道(I)』[[小学館]]、1989年、p.173</ref>、[[1968年]]にさいとう主宰の「さいとう・プロダクション」を紹介され<ref>宇都宮(2003)、pp.272-273</ref><ref>インタビュー・構成木村修「スペシャルインタビュー 小山ゆう」『格闘マンガで強くなる!』アスペクト、1997年、p.12</ref>。[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]として漫画の世界へ入り、漫画家を目指す決意をする<ref name="FPD" />。3年半後、さいとうプロの友人だった[[山本又一朗]]と[[やまさき拓味]]と3人でオリオンプロを設立し、キャラクター商品のデザインや挿絵やカットの仕事を請け負うも1年半で廃業。漫画の仕事をすべく、先にさいとうプロを独立した[[小池一夫]]のスタジオシップ(現・[[小池書院]])へ[[1971年]]に3人で移籍した<ref>宇都宮(2003)、pp.279-283</ref>。
[[1973年]]、『[[週刊少年サンデー]]』に掲載の『[[おれは直角]]』でデビュー<ref name="FPD" />。作中のギャグ調の描写で人気作となる<ref>根岸(1989)、p.178</ref>。同作連載終了後の[[1976年]]にスタジオシップを退社<ref name="utsu293" />。
[[1976年]]から『週刊少年サンデー』誌上で連載開始したボクシング漫画『[[がんばれ元気]]』は一転してギャグを使わず、少年の成長物語を描いた<ref>根岸(1989)、p.179</ref>。同作は5年間の長期連載作となり、[[1977年]]には第22回[[小学館漫画賞]]少年少女部門を受賞。そして、[[1980年]]に自身の初の[[テレビアニメ]]化作品になった。
[[1986]]年から[[1996年]]にかけては、大好きだという[[坂本龍馬]]を主人公とした『[[お〜い!竜馬]]』を連載<ref>根岸(1989)、p.180</ref>。
[[1991年]]には『おれは直角』が、[[1992年]]には『お〜い!竜馬』がそれぞれテレビアニメ化された。
[[1994年]]から『[[ビッグコミックスペリオール]]』誌上で連載開始した『[[あずみ]]』は長年の念願だったという[[チャンバラ]]の時代劇漫画だった<ref>宇都宮(2003)、pp.308-310</ref>。同作で[[1998年]]に、第43回小学館漫画賞青年一般部門と第1回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門優秀賞を受賞。さらに2003年と2005年には旧友の山本又一朗のプロデュースにより映画化された<ref>宇都宮(2003)、pp.312-315</ref>。
== 作品リスト ==
|