「テオドロス1世ラスカリス」の版間の差分

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{{出典の明記|section=1|date=2012年3月}}
 
{{基礎情報 君主
|人名 = テオドロス1世ラスカリス
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それから数年間、駆け出しの国家を取り巻く[[第二次ブルガリア帝国]]などの敵国に付きまとわれる。一方で[[ラテン帝国]]皇帝[[アンリ・ド・エノー]]の打倒運動をしぶとく続け、[[ライバル|強敵]][[トレビゾンド帝国]]皇帝[[アレクシオス1世 (トレビゾンド皇帝)|アレクシオス1世]]を破り、その後も快進撃を続けて、[[ルーム・セルジューク朝]]の[[スルタン]]、[[カイホスロー1世]]に対し逆襲に出る。
 
[[1210年]]、再び帝位を狙う義父アレクシオス3世に唆されたカイホスロー1世は、ニカイア帝国に出兵した。迎え撃ったテオドロス1世は、[[アンティオキア]]付近の会戦でカイホスロー1世を敗死させ{{信頼性要検証|date=2012年3月}}アレクシオス3世を捕縛したことで、その帝位を確定させた。
 
治世の末期には[[ビテュニア]]から[[小アジア]]に領土を広げた。政治家として高い資質に恵まれたという証拠はないものの、彼の度胸と武勲によって、東ローマ帝国民は生き長らえることができただけでなく、西欧の侵入に反撃することもできるようになったのである。