「ジャマリオ・ムーン」の版間の差分

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バスケットへの夢を諦めきれないムーンは、全国的にみれば全くの無名選手であるにも関わらず、果敢にも[[2001年のNBAドラフト]]にアーリーエントリーした。しかしスカウト陣からは見向きもされず、指名を受けられることはなかった。大学に戻ることもできないムーンは、プレイの場をマイナーリーグに求めるようになる。
 
2001年に[[NBADL]]の[[w:Mobile Revelers|モービル・レヴェラーズ]]と契約したムーンは、ここから放浪の日々を過ごすこととなる。翌年には[[USBL]]の[[w:Dodge City Legend|ドッジ・シティ・レジェンド]]、さらには老舗エキシビションチームの[[ハーレム・グローブトロッターズ]]、[[コンチネンタル・バスケットボール・アソシエーション|CBA]]の[[オールバニ・パトルーンズ]]。2006年には[[メキシコ]]に渡り、[[w:Liga Nacional de Baloncesto Profesionalリーガ・ナシオナル・バロンセスト・プロフェッショナル|LNBP]]の[[w:Fuerza Regia|Fuerza Regia]]でもプレイした。2001年から2007年にまで渡る放浪の日々の中、ムーンは述べ17チームを渡り歩いた。
 
ムーンの努力が報われたのは2007年の夏。[[トロント・ラプターズ]]のキャンプに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|FA]]として招かれたムーンは、ラプターズのコーチ陣に向けてアピールに成功。7月10日にラプターズと2年間の契約を結び、念願のNBA選手となった。ムーンはこの時27歳。リーグでも異例と言えるオールドルーキーが誕生する。