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'''グナエウス・ポンペイウス・トログス'''(Gnaeus Pompēius Trōgus)[[紀元前1世紀]][[古代ローマ|ローマ]]の歴史家。『[[ピリッポス史 Historiarum]]』(Historiarum Philippicarum、邦訳では『地中海世界史の著者。
 
==概略==
トログスの祖先は[[ガリア・ナルボネンシス]]のケルト人種族であるウォコンティ族にさかのぼる。歴史家の祖父にあたるトログス・ポンペイウスは、[[セルトリウス戦争]]で[[グナエウス・ポンペイウス]]のもとで戦って市民権を得た。おじも同じポンペイウスのもとで、父は[[ユリウス・カエサル]]のもとでローマ軍将校として活躍した、という。
 
トログスの著作として、『ピリッポス史 Historiarum Philippicarum他には『動物について De animalibus(De animalibus)があり、これ後者は若干の断片が[[大プリニウス]]の『[[博物誌]]』に収録されている。
 
==歴史観==
トログスの著書として最も知られている『ピリッポス史』は、[[紀元前19年]]から2年の間に書かれたものと想定される。3世紀には[[ユニアヌス・ユスティヌス]]により抄録が作られ、その形で後世に残るが、『ピリッポス史』自体は残っていない。トログスは[[ウェッレイウス・パテルクルス]]、[[クルティウス・ルフス]]、[[ウァレリウス・マクシムス]]などのラテン語の歴史書に引用され、[[アウグスティヌス]]や[[オロシウス]]などに参照され、[[カッシオドルス]]や[[イシドルス]]の文中にも利用された形跡がある。
 
この歴史書には政治史だけでなく自然誌・民族誌・地誌がふくまれており、人間の歴史は自然誌の一部であるという態度がうかがわれる。それは[[ヘロドトス]]や[[ポセイドニオス]]、カエサルの『[[ガリア戦記]]』や[[コルネリウス・タキトゥス]]の『[[ゲルマニア (書物)|ゲルマニア]]』などの伝統に従ったものと考えられる。
 
ローマだけでなく地中海をめぐる世界全体の歴史について、個々の歴史家が記述したことを時代順に、また事態のつながりをたどってまとめたところに、トログスの歴史の特徴がある。これは[[ポリュビオス]]がその『[[歴史 Historiae (ポリュビオス)|歴史]](Historiae)の中で自覚的に採用し、ポセイドニオスを通じてトログスが引き継いだものであり、やがては「普遍史 Universalgeschichtsschteibung」として[[バルトホルト・ゲオルク・ニーブール|B・G・ニーブール]]や[[ヨハン・グスタフ・ドロイゼン|J・G・ドロイゼン]]、[[アルフレート・フォン・グートシュミット|A・v・グートシュミット]]などのドイツ史家に復権される視点である。
 
[[サルスティウス]]の影響を受けて、同時代のローマについては悲観的な感想を持ち、ローマは古来の共和制の美質を失いつつあり、没落して次の帝国に取って代わられるのではないか、と考えていた。教会史家[[ヒエロニムス|ヒェロニムス]]はトログスの作品を推奨に値する歴史書としてあげ、「帝権の変遷・継承」説はヒェロニムスの年代記によってキリスト教徒に伝えられる。
 
==参考文献==
*[[ポンペイウス・トログス]]/ユスティヌス『地中海世界史』(2004年、合阪學・訳、西洋古典叢書:[[京都大学学術出版会]])
*『プリニウスの博物誌』(1986年、[[中野定雄]]・他訳、[[雄山閣出版]]
* John C. Yardley, Waldemar Heckel: ''Justin: Epitome of the Philippic History of Pompeius Trogus. Vol. I, Books 11-12: Alexander the Great''. Oxford 1997 (siehe vor allem die dortige Einleitung).
* Otto Seel: ''Pompeius Trogus und das Problem der Universalgeschichte''. In: ''Aufstieg und Niedergang der römischen Welt''. Bd. II 30,2. Berlin-New York 1982, S. 1363–1423.