「濱口内閣」の版間の差分

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外務大臣には、協調外交で知られる幣原喜重郎を起用。
財界からの信任のある[[井上準之助]]蔵相を起用して[[金解禁]]、緊縮政策、産業合理化を断行し、また政友会の反対を排除して[[ロンドン海軍軍縮条約]]を結んだ。これらが右翼からの反感を買い、[[1930年]](昭和5年)11月に濱口雄幸が東京駅構内にて[[右翼団体]][[愛国社 (1928年-)|愛国社]]党員の[[佐郷屋留雄]]に銃撃され、[[幣原喜重郎]]が臨時代理を務めた。その後、濱口が復帰するが病状の悪化により総辞職。4ヶ月後に濱口は死去した。
 
濱口は、初の[[明治]]生れ、[[高知県]]([[土佐藩]])出身の総理大臣である。