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{{Infobox company
| company_name = Mamiya Digital Imaging Co., Ltd.
| company_type = カメラ光学機器メーカー
| company_logo =
| slogan =
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'''マミヤ・デジタル・イメージング株式会社'''(社長:緑川俊夫)は、デジタル技術事業および[[カメラ]]・[[デジタルカメラ]]などの光学機器事業を扱う会社である。
 
== 光学機器事業の概要 ==
マミヤの創業者で発明家の[[間宮精一]]が[[1940年]]に、新規に考案したバックフォーカシング方式([[実用新案]]登録第294734号{実公昭15-014673})の距離計連動6×6cm判スプリングカメラ「マミヤシックス」を設計・発売。その後、間宮精一が16mm[[写真フィルム|フィルム]]使用の超小型カメラ「マミヤ16」を開発し[[1949年]]に発売。[[1957年]]世界初レンズ交換式6×6cm判[[二眼レフカメラ]]「マミヤCシリーズ」を開発。[[1960年]]6×9cm判プレスカメラ「マミヤプレス」を発売、[[1970年]]レボルビングバッグ機構を備えた6×7cm判一眼レフ「マミヤRB67」を発売、[[1975年]]6×4.5cm判の一眼レフ「マミヤM645」を発売、[[1982年]]にRB67を電子化した「マミヤRZ67」を発売。
 
しかし[[1984年]][[2月29日]]、マミヤの主要[[株主]]であり海外でのカメラ販売を手がけてきた[[大沢商会グループ]]が事実上倒産。マミヤもあおりを受け、同年[[3月5日]]に[[会社更生法]]に基づく更生手続を開始している。この過程で35mmフィルムカメラからは撤退。得意分野である中判カメラの製造に特化することとなった。
 
その後、デジタル対応化し直接電子製版原版作成が可能な現行の電子中判カメラを発売。6×7cm判でありながらも8×10判に比肩するカメラとして、世界のプロフェッショナルフォトグラファーに愛好され、とりわけ最新型の「マミヤRZ67プロフェッショナルIID」は2130万画素の電子製版直結のプロ用カメラとして愛用されている。
 
また6×4.5cm判の「マミヤM645」も自動焦点化。ハイレベルのアマチュアフォトグラファーに愛用され、電子製版対応の画像撮影機材として他社にないラインアップを誇っている。
 
[[2006年]]4月、コンパクトデジタルカメラや高級1眼レフデジタルカメラの出現により中判カメラの売り上げが落ち込んだことや、2005年12月に発売したマミヤZDの売上不振から2006年8月を目途に東京都台東区<!-- 上野2-14-22明治安田生命上野公園ビル4階在 -->にあるコスモ・デジタル・イメージング株式会社へ、子会社の光学器械製造部門の「マミヤ株式会社」を含むマミヤ・オーピー株式会社の光学器械関連部門を営業譲渡すると発表。2006年9月1日コスモ・デジタル・イメージング株式会社が[[マミヤ・デジタル・イメージング]]株式会社に商号変更し、「マミヤ」ブランドおよび全てのカメラ関係の製造、販売を継承、アフターサービスもマミヤ・デジタル・イメージング東京新宿マミヤS.C.からマミヤ・デジタル・イメージング本社営業課に移行し、東京サービスセンター<!--(東京都文京区後楽1-2-2 ココタイラビル1階) -->に移転した。<!-- レンズ・精密機械加工技術とデジタル技術をつなぐハイブリッド技術を磨き、これとデータベース・IT技術とを融合した新製品を、企画・開発・販売する。(←この辺は「コスモ~」の項目で記述すべき) -->
 
[[2011年]]4月、マミヤ・デジタル・イメージング株式会社は、[[フェーズワン]]社、[[リーフ (カメラメーカー)|リーフ]]社との3社提携製品であるマミヤ[[645DF]]カメラ、DMデジタルバック、AFレンズ群の日本国内販売業務・サポートの提供・広告宣伝を含むマーケティング活動等を全てフェーズワン社へ移管した。
 
 
[[コスモ・サイエンティフィック・システム]]株式会社がデジタル技術事業に特化した子会社'''コスモ・デジタル・イメージング株式会社'''を[[2006年]][[3月15日]]に設立、さらに[[2006年]][[9月1日]]、[[マミヤ・オーピー]]株式会社から同社の光学機器事業部門およびマミヤ・オーピー子会社の株式会社マミヤの営業譲渡を受け、商号を現社名に変更した。その後は旧マミヤ光学器械製品の現行商品の製造や、アフターサービス、旧マミヤ光学器械関連のデジタル画像関連の製品の企画開発等を行っている。