「フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー」の版間の差分
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[[Image:Hundertwasser_nz_1998_hg.jpg|thumb|フンデルトヴァッサー
'''フリーデンスライヒ・レゲンターク・ダンケルブント・フンデルトヴァッサー'''(Friedensreich Regentag Dunkelbunt Hundertwasser、[[1928年]][[12月15日]] - [[2000年]][[2月19日]])は[[オーストリア]]の[[芸術家]]、[[画家]]、[[建築家]]。本名は'''フリードリヒ・シュトーヴァッサー'''(Friedrich Stowasser)。
[[Image:Maishima waste treatment center Osaka JPN 002.jpg|thumb|大阪市環境局舞洲工場]]▼
日本では「'''フンダートヴァッサー'''」「'''フンデルトワッサー'''」という呼び方も多く用いられる。日本語での号は姓を直訳した「百水」。色鮮やかな外見の建築でよく知られる。
== 来歴 ==
[[ウィーン]]のエルンスト(Ernst Stowasser)と[[ユダヤ系]]チェコ人の母エルゼ(Else)の
[[第二次世界大戦
そしてある時、彼の作品に渦巻きが登場する。「円に流れる血 私は自転車を持っている」(1953年)ではどこまでも果てしなく続く曲線。一方で断固拒否したのは定規で引いたような直線であった。「自然の中に唯一存在しないものが直線である。社会や文化が存在しないこの直線に基づいているとすれば、やがてすべては崩壊するだろう」。彼にとって無機質な直線に比べ、渦巻きは植物のように成長する命の象徴であった。自然への畏敬の念をこめた作品「わたしはまだわからない」(1968年)は次第に世界で高い評価を受けるようになった。
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== 作品 ==
▲[[Image:Maishima waste treatment center Osaka JPN 002.jpg|thumb|大阪市環境局舞洲工場]]
* [[1948年]] 母の肖像
* [[1951年]] 緑の屋根と庭のある家々
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== ギャラリー ==
<gallery>
Image:Hundertwasserhaus 1.jpg|<small>[[フンデルトヴァッサー・ハウス
Image:Barbarakirche baernbach.JPG|<small>聖バーバラ教会</small>
Image:District heating plant spittelau ssw crop1.png|<small>シュピッテラウ焼却場</small>
File:Furoshiki designed by Friedensreich Hundertwasser for 'Fernwärme Wien' AG.jpg|<small>風呂敷
</gallery>
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