「白蓮教」の版間の差分

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創始者は南宋[[孝宗 (宋)|孝宗]]期に[[天台宗]]系の慈昭子元だが、当初から国家からも既成教団からも異端視されていた。それは、半僧半俗で妻帯の教団幹部により、男女を分けない集会を開いたからだとされる。
 
[[元 (王朝)|元]]代には、廬山東林寺の'''[[普度''']]「''[[廬山蓮宗宝鑑''」]]10巻を著し、[[大都]]に上京して白蓮教義の宣布に努め、布教の公認を勝ち得たが、すぐにまた禁止の憂き目に遭った。元代に、呪術的な信仰と共に、[[弥勒]]信仰が混入して変質し、[[革命]]思想が強くなり、何度も禁教令を受けた。
 
元末、政治混乱が大きくなると白蓮教の勢力は拡大し、遂に[[韓山童]]を首領とした元に対する大規模な反乱を起こした。これは目印として紅い布を付けた事から[[紅巾の乱]]とも呼ばれる。