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[[File:Environs of London Davies map 1841.jpg|thumb|right|200px|1841年のロンドンの地図。シェパーズ・ブッシュは左端に表示されているが、ほとんど市街化されていない。]]
<!--[[File:LimeGroveStudios.jpg|thumb|right|200px|ライム・グローブ・スタジオ。1994年に撤去され、跡地には集合住宅が建てられた。]]-->
[[File:V1-20040830.jpg|right|thumb|200px|V1飛行爆弾(模型)]]
[[File:Foundation stone in Shepherds Bush with shrapnel damage.jpg|thumb|left|第二次世界大戦中の炸裂弾の弾痕が刻まれた、シェパーズ・ブッシュのある建物の礎石。]]
=== 地名の起源 ===
「羊飼いの茂み」を意味するシェパーズ・ブッシュという地名は、[[シティ・オブ・ロンドン]]の[[スミスフィールド]]にあった[[家畜]]市場へ向かう[[羊飼い]]たちが休憩する[[コモン・ランド]] ([[:en:Common land|Common land]]) 、すなわち[[慣習法]]上そのように利用することが羊飼いたちに認められていた場所があったことに由来すると考えられている{{要出典|date=2011-7}}。別の説では、[[1635年]]の時点でシェパーズ・ブッシュ・グリーン (Sheppards Bush Green) として記録されていることから、この地域に住んでいた特定の個人に由来する命名ではないかとも言われている{{要出典|date=2011-7}}。
 
この地域に人が住んでいた形跡は、[[鉄器時代]]にまで遡ることができる。シェパーズ・ブッシュが文献記録に現れるのは、[[704年]]に[[ロンドン司教]] ([[:en:Bishop of London|Bishop of London]]) であった[[ウェイルデリ]] ([[:en:Waldhere (bishop)|Waldhere]]) が、フラナム・エステート (Fulanham estate) <ref>Fulanham は現在の綴りでは Fulham、すなわち[[フラム]]を指す。[[フラム宮殿]] ([[:en:Fulham Palace|Fulham Palace]]) は、11世紀から1975年まで、ロンドン司教(宗教改革後は、ロンドン主教)の居宅であった。</ref>の一部として購入した場所の地名として記されたのが最初である<ref>{{cite web|url=http://www.coursework.info/GCSE/History/History_Projects/Introduction_to_the_History_of_Shepherds_L56735.html|title=Introduction to the History of Shepherds Bush|publisher=Coursework.Info|accessdate=2012-04-03}}</ref>。
 
=== 19世紀 ===
[[1841年]]のロンドンの地図では、シェパーズ・ブッシュはほとんど開発されておらず、もっぱら農村的性格の場所として表現されており、急速に市街地化が進んでいた[[ハマースミス]]に比べると、より多く牧草地が広がっていた。住宅地としての開発が熱心に取り組まれたのは、ロンドンの人口が急拡大を続けた19世紀末であった。[[1904年]]、聖霊と聖スティーヴン・カトリック教会 (The Catholic Church of Holy Ghost and St Stephen) が、[[煉瓦|赤煉瓦]]と[[ポートランド石]]で築かれた、三[[破風]]の[[ファサード]]を擁する[[ゴシック建築]]として完成し、公開された<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=2gTN5BuRpZEC&pg=PA128&dq=shepherds+bush&hl=en&ei=UF4TTr7OIZGXhQeX7aXmDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4&ved=0CDwQ6AEwAw#v=onepage&q=shepherds%20bush&f=false|last=Evinson|first=Denis|page=128|title=Catholic Churches of London|year=1998|publisher=Sheffield Academic Press Ltd|accessdate=2012-04-03}}</ref>
[[File:V1-20040830.jpg|right|thumb|200px|V1飛行爆弾(模型)]]
 
[[File:Foundation stone in Shepherds Bush with shrapnel damage.jpg|thumb|leftright|第二次世界大戦中の炸裂弾の弾痕が刻まれた、シェパーズ・ブッシュのある建物の礎石。]]
=== 20世紀 ===
[[1904年]]、聖霊と聖スティーヴン・カトリック教会 (The Catholic Church of Holy Ghost and St Stephen) が、[[煉瓦|赤煉瓦]]と[[ポートランド石]]で築かれた、三[[破風]]の[[ファサード]]を擁する[[ゴシック建築]]として完成し、公開された<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=2gTN5BuRpZEC&pg=PA128&dq=shepherds+bush&hl=en&ei=UF4TTr7OIZGXhQeX7aXmDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4&ved=0CDwQ6AEwAw#v=onepage&q=shepherds%20bush&f=false|last=Evinson|first=Denis|page=128|title=Catholic Churches of London|year=1998|publisher=Sheffield Academic Press Ltd|accessdate=2012-04-03}}</ref>。
 
シェパーズ・ブッシュの北隣には、[[1908年]]に[[ロンドンオリンピック (1908年)|ロンドンオリンピック]]の会場として[[ホワイトシティ・スタジアム]]が建設され、永く競技場として使用されていたが、[[1985年]]に撤去されて跡地には[[BBCホワイト・シティ]]・センターが建設された。
 
シェパーズ・ブッシュには、[[第一次世界大戦]]中に、負傷兵の治療にあたる先駆的な[[整形外科学|整形外科]]病院として、シェパーズ・ブッシュ軍病院(the Shepherd's Bush Military Hospital:後の[[ハマースミス病院]]、[[:en:Hammersmith Hospital|Hammersmith Hospital]])が建設されたが、これは著名な外科医であった[[ロバート・ジョーンズ (外科医)|ロバート・ジョーンズ]] ([[:en:Robert Jones (surgeon)|Robert Jones]]) の尽力によるものであった<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=hX4i-WbW5kMC&pg=PA164&dq=shepherds+bush&hl=en&ei=UF4TTr7OIZGXhQeX7aXmDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=7&ved=0CEsQ6AEwBg#v=onepage&q&f=false|last=Watson|first=Frederick|page=164|title=The Life of Sir Robert Jones|year=1934|publisher=W.Wood|location=Baltimore|accessdate=2012-04-03}}</ref><ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=lE3qgYD-7I4C&pg=PA116&dq=shepherds+bush&hl=en&ei=UF4TTr7OIZGXhQeX7aXmDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=8&ved=0CFAQ6AEwBw#v=onepage&q&f=false|last=Reznick|first=Jeffrey Stephen|page=116|title=Healing the Nation: Soldiers and the Culture of Caregiving in Britain|year=2004|isbn=0719069742|accessdate=2012-04-03}}</ref>。
 
[[1916年]]、戦時合同委員会 (the Joint War Committee) <ref>戦時下に、医療・救援活動を担ったイギリス赤十字社と聖ヨハネ修道会との戦時合同委員会 (the Joint War Committee and the Joint War Finance Committee of the British Red Cross Society and the Order of St.John of Jerusalem in England) のこと。{{cite journal|和書|journal=立命館産業社会論集|title=第一次世界大戦におけるイギリス赤十字・ボランタリー救護部隊 ― 部隊の軍隊化と女性メンバーの活動―|author=黒川章子|volume=38|issue=4|year=2003|url=http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/384pdf/kurokawa.pdf|format=PDF|accessdate=2012-04-03}}</ref>は£1,000 を病院に提供してその業務を始動させ、[[1918年]]にはさらに£10,000 の資金を提供した。この病院は、一般市民からの寄付によっても支えられた。負傷兵のリハビリテーションの一環として、回復途中の患者を地域の商店などで働かせることも試みられたが、これは患者である兵士たちの間では必ずしも歓迎されなかったようである<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=Vxi-T1yJOUgC&pg=PA191&dq=shepherds+bush&hl=en&ei=lmsTTsnhA4iAhQemqKjLDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=7&ved=0CE0Q6AEwBjgK#v=onepage&q&f=false|last=Gerber|first=David, A.|title=Disabled veterans in history|publisher=University of Michigan|year=2000|isbn=0472110330|accessdate=2012-04-03}}</ref>。
 
ロンドンの他の地区と同じように、シェパーズ・ブッシュも[[第二次世界大戦]]中には空襲の被害を受けたが、特に、ほとんど前触れもなく飛来し、無差別に損害を与える[[V1飛行爆弾]](通称「ドゥードゥルバグ(doodlebug、「アリジゴク」の意)」、「ぶんぶん爆弾 (buzzbomb)」)の攻撃を受けた<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=OvZOl56c7N8C&pg=PA20&dq=shepherds+bush&hl=en&ei=UF4TTr7OIZGXhQeX7aXmDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=5&ved=0CEEQ6AEwBA#v=onepage&q=shepherds%20bush&f=false|author=Bibe|page=20|title=A Victim|year=2011|isbn=9781456856908|accessdate=2012-04-03}}</ref>。