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'''フランソワ=ガストン・ド・レビ'''('''François Gaston de Levis'''、[[1719年]][[8月20日]] - [[1787年]][[11月26日]])は、[[フランス王国|フランス]]の[[軍人]]あり[[貴族]]である。
 
==来歴==
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[[ラングドック]]地方[[リムー]]近郊のアジャック城に、父でアジャック[[侯爵]]のジャン・ド・レビ、母ジャンヌ・マロンヌの子として生まれる。[[1735年]]に[[フランス陸軍]]入隊、その後20年間、ヨーロッパの各地での戦闘に参加し、[[サン・ルイ勲章]]を受勲した。
 
[[1756年]]、[[フレンチ・インディアン戦争]]に従軍する。この戦争で[[カナダ]]に派遣されたフランスの[[士官]]の中では、最も有能な人物の一人であり<ref name=quebec>[http://faculty.marianopolis.edu/c.belanger/quebechistory/encyclopedia/FrancoisGastonDucdeLevis.htm François Gaston duc de Lévis - Seven Years War - French and Indian War]</ref>、フランスを発つ際に、指揮官である[[ルイ=ジョゼフ・ド・モンカルム]]が死亡、もしくは職務続行不可能の場合は、レビがフランス軍の指揮を執ること、また、[[ヌーベルフランス]][[総督]][[ピエール・フランソワ・ド・リゴー|ヴォードルイユ]]が死去の場合は、モンカルムが自動的に総督となり、モンカルムがその後死去、または職務続行が不可能の場合は、レビが総督に就任することが約束されていた。
 
この年の[[4月6日]]に、レビは5人の従者とともに[[ブレスト (フランス)|ブレスト]]港を発ち、[[5月31日]]に[[ケベックシティ|ケベック]]に着いた<ref name=biography>[http://www.biographi.ca/EN/ShowBio.asp?BioId=36156&query= LÉVIS, FRANÇOIS DE, Duc de LÉVIS - Dictionary of Canadian Biography Online]</ref>。当初は[[准将]]待遇であったが、その後、カナダの正規部隊の副指揮官となった<ref name=CE>[http://www.thecanadianencyclopedia.com/index.cfm?PgNm=TCE&Params=A1ARTA0004660 Lévis, François-Gaston de, Duc de Lévis - The Canadian Encyclopedia]</ref>。
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[[1780年]]にはアラスの知事となり、[[1783年]]、陸軍最高位の[[元帥]]に昇進。翌[[1784年]]には[[公爵]]に叙せられた。[[1787年]][[11月26日]]、アラスにて死去。彼の書類や手紙は、[[カスグラン]](Casgrain)の[[修道院]]で収集され、出版された<ref name=quebec/>。
 
 
==脚注==
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{{DEFAULTSORT:れひ ふらんそわ かすとん}}
[[Category:1719年生]]
[[Category:1787年没]]
[[Category:フランスの軍人]]
[[Category:フランスの貴族]]
[[Category:フランスブルボン朝の人物]]
[[Category:北米植民地戦争]]
[[Category:1719年生]]
[[Category:1787年没]]
 
[[de:François-Gaston de Lévis]]