「テクノクラート」の版間の差分

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== 概要 ==
多くのテクノクラートを輩出した時期は、[[近代]]からである。科学技術の発展により、その技術と[[政治]]力を結びつけ、[[国力]]を増大させる時にテクノクラートが大きな役割を果したと言われる。[[第二次世界大戦]]や[[冷戦]]時の[[軍事政策]]、米ソの[[宇宙開発競争]]などでは、実に多くのテクノクラートが活躍した。特に[[ソ連共産党]]政権下では全てを国有化し工業化に偏重したために巨大な事務官僚制、技術官僚制ができ、工業労働者という名目で多くのテクノクラトが重用さと呼ば<ref>Graham, Loren R. ''The Ghost of the Executed Engineer: Technology and the Fall of the Soviet Union''. Cambridge: Harvard University Press, 1993. 73</ref>、[[中嶋毅長老支配]]『テクノクラートとを敷いた[[革命ブレジネフ]]権力 など国家の指導者たちも工学を学び、[[ソビエト|ソヴィエト]]技術連共産党策史1917-1929』[[岩波書店治局]]、1999年、ISBNのメンバーは89%がエンジニアだった。<ref>Graham, 400002714X74.</ref>
 
一般に、テクノクラートは[[科学主義]](テクノクラシー)を重んじ、時に民衆の利益よりも科学の発展を優先する傾向があるとされている。その暴走により、国家が破綻するとの考えもあるが、基本的に[[民主主義]]国家では、テクノクラートは国家及び民衆の為にその科学技術を基に国民の利益につながる政策に関与することが主である。
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==書籍・論文==
*[[中嶋毅]]『テクノクラートと[[革命]]権力 [[ソビエト|ソヴィエト]]技術政策史1917-1929』[[岩波書店]]、1999年、ISBN 400002714X
*[[川井悟]]「1930年代[[中国]][[経済]]建設における[[中国人]]テクノクラートの研究」[[文部省]]科学研究費補助金研究成果報告書、1990年
*[[梶田孝道]]『テクノクラシーと社会運動 [[対抗的相補性]]の[[社会学]]』[[東京大学出版会]]、1988年、ISBN 4130550152