「JPS (たばこ)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
定義修正(インペリアルタバコのブランド)、記事体裁の整理
編集の要約なし
45行目:
|
|}
 
=== 日本以外 ===
[[ファイル:JPSBlue.JPG|thumb|ドイツやオーストリアで販売されているJPS AMERICAN BLEND BLUE]]
63 ⟶ 62行目:
* Player's Special Blend
* Player's 1877 Limited Edition Tin
{{-}}
 
== モータースポーツへのスポンサー活動 ==
[[ファイル:Andretti Lotus 77 2.jpg|thumb|right|200px|「J.P.S. Mk.II」ことロータス・77]]
インペリアル・タバコは[[1968年]]より[[フォーミュラ1|F1]]の[[チーム・ロータス]]のメインスポンサーとなり、1971年までは赤と金色の「[[ゴールドリーフ]]」ブランドを使用。1972年よりJPSブランドに変更し、1979年と1980年を除き、1986年までロータスを支援した。漆黒と金<ref>ただし、初期のうちに写真での発色を考慮して、金色の部分はクリーム色(黄土色)に置き換えられている。</ref>のピン・ストライプに彩られた車体は特に印象深く、当時の代表的なカラーリングに挙げられる。マシン名も[[ロータス・76]]はJ.P.S. Mk.I、[[ロータス・77]]はJ.P.S. Mk.II、[[ロータス・78]]はJ.P.S. Mk.III、[[ロータス・79]]はJ.P.S. Mk.IVと呼ばれる別名を持っていた。
[[ファイル:Lotus 79 Mont-Tremblant.JPG|thumb|right|200px|「J.P.S. Mk.IV」ことロータス・79]]
インペリアル・タバコは[[1968年]]より[[フォーミュラ1|F1]]の[[チーム・ロータス]]のメインスポンサーとなり、1971年までは赤と金色の「[[ゴールドリーフ]]」ブランドを使用。1972年よりJPSブランドに変更し切替え、1979年と1980年を除き、1986年までロータスを支援した。漆黒と金<ref>ただし、初期のうちに写真での発色を考慮して、金色の部分はクリーム色(黄土色)に置き換えられている。</ref>のピン・ストライプに彩られた車体は特に印象深く、[[ロータス・79]]が「ブラック・ビューティー」と呼ばれるなど、当時の代表的なカラーリングに挙げられる。マシン名も[[ロータス・76]]はJ.P.S. Mk.I、[[ロータス・77]]はJ.P.S. Mk.II、[[ロータス・78]]はJ.P.S. Mk.III、[[ロータス・79]]はJ.P.S. Mk.IVと呼ばれる別名を持っていた。
 
市販車を製造する[[ロータス (自動車)|ロータス・カーズ]]が販売する[[ロータス・ヨーロッパ]]の1972年に登場した最終型、「スペシャル」でも、同様に金のピン・ストライプが入れられた。
72 ⟶ 73行目:
 
日本の[[全日本F2選手権]]では[[中嶋悟]]を擁する[[生沢徹|i&iスポーツ]]がJPSカラーのマシンでチャンピオンを獲得した。中嶋は1982年のJPSトロフィーレースで優勝した特典として、ロータスのF1マシンをテスト走行している。
 
<gallery>
ファイル:Andretti Lotus 77 2.jpg|「J.P.S. Mk.II」ことロータス・77
ファイル:Lotus 79 Mont-Tremblant.JPG|「J.P.S. Mk.IV」ことロータス・79
</gallery>
== 脚注 ==
{{Reflist}}