「オリンピア (映画)」の版間の差分

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1年半の編集期間を経て[[1938年]]に公開された本作は、映像美と斬新さが世界中から絶賛を受け、[[ヴェネツィア国際映画祭]]で最高賞(ムッソリーニ杯)を獲得。[[日本]]でも[[キネマ旬報]]1940年度外国映画ベストテンの1位を獲得、戦前の観客動員記録を樹立するなど大ヒットを記録した。
 
しかし大戦後にはナチ賛美の[[プロパガンダ]]映画として糾弾され、監督をしたレニ・リーフェンシュタールは映画監督としての生命を絶れることになった。そのような政治的な非難とは別にして、映画史的な評価は今日までも高く、戦後の映画制作者のいくどない挑戦にも関わらず、この作品を超えるオリンピック映画は生まれていないとされる。
 
==創作について==