「名代富士そば」の版間の差分

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=== 「富士そば」をオープン ===
事業の一つとして{{和暦|1966}}、富士そばの原点となる[[日本初]]24時間営業の立ち食いそば店を[[渋谷]](現在の渋谷本店通り[[109 (商業施設)|109]]斜め向かいにて営業中)にてスタートした<ref name="gen" /><ref name="fuji">[http://fujisoba.co.jp/about/index03.html 「社長の人生観」] 富士そば公式サイト</ref>。なお、「1964年富士そば1号店」と説明している本人インタビュー記事もある<ref name="mai">[http://web.archive.org/web/20070224210334/http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/archive/news/2007/02/20070202dde012040018000c.html 特集ワイド:丹道夫・「富士そば」社長、CDアルバム発売 人生のそばに演歌を]([[インターネット・アーカイブ]]) 毎日新聞東京 夕刊 2007年2月2日</ref>。
 
経営は順調に進んでいたが、際限のない事業の拡大に疲れた事や、意見の相違から共同経営者たちと袂を分かち、{{和暦|1972}}ダイタンフード株式会社を設立、立ち食いそば店「富士そば」とレストラン6店を引き継いで独立<ref name="yomi" />。しかし、丹自身病気で入院したり、母が重病になったり、新事業の住宅販売が影響し資金繰りに苦労するなど、丹自身の環境から気持ちに迷いが生じていたが心境の変化で吹っ切れて、事業の要だった立ち食いそば店「富士そば」の経営に専念<ref name="yomi" />。[[2000年代]]後半に一日5万食を誇る業界トップクラスの立ち食いそばチェーンとなった<ref name="mai" /><ref name="kowa">[http://kouwa-bussan.co.jp/03_example/04_fuji.html 「お店のご紹介」] 興和物産公式サイト</ref>。
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;演歌と丹道夫
富士そば全店の店内に流れる[[バックグラウンドミュージック|BGM]]は、基本的に[[演歌]]である。その理由は、若き日の苦労時代、創業者の丹が演歌を聴いて勇気付けられ、癒されたという経験から基本的に[[演歌]]である<ref name="yomi"/><ref>[http://www.cdjournal.com/main/research/-/2193 「富士そば」でいつも演歌が流れているのはなぜ?] - CDジャーナル 2006年12月15日</ref>。なお、店舗や状況によっては稀に[[J-POP]]が流れることもある。
 
* 丹は昔から[[作詞]]が好きで趣味的に書いていたが、会社が自分の設定した目標の80%に達したら本格的に作詞の勉強をしようと考え、55歳の時に50店舗達成したことを機に、[[六本木]]の作詞学校に[[入学]]した<ref name="kino"/><ref name="yomi"/>。
* {{和暦|1997}}に'''[[作詞家]]「丹まさと」'''としてデビューしており、{{和暦|2007}}時点で計31曲に携わった<ref name="kino"/><ref name="yomi" />。店内に自分が[[作詞]]した[[曲]]の[[ポスター]]を大きく店舗に貼っており、その[[コンパクトディスク|CD]]や[[カセットテープ]]を店舗にて[[販売]]している<ref name="fuji" />。
* {{和暦|2006}}12月には、『演歌魂〜富士そば編〜』という[[コンピレーション・アルバム]]も発売された<ref>[http://www.cdjournal.com/main/news/-/13551 家にいながら“富士そば”気分! コンピ盤『演歌魂〜富士そば編〜』登場] - CDジャーナル 2006年11月30日</ref>。