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'''藤沢 南岳'''(ふじさわ なんがく、[[天保]]13年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]([[1842年]][[10月12日]]) - [[大正]]9年([[1920年]][[2月2日]])は、[[幕末]]から[[明治]]期に活動した[[儒学者]]。
 
[[讃岐国|讃岐]]生まれ。[[藤沢東畡]]の長男。名は恒、[[]]は君成、通称は恒太郎。号は醒狂、香翁など。[[大坂]]の[[泊園書院]]を父から継承し、数千人の門人を擁した。[[高松藩]]に仕え、左幕派だった藩論を一夜で朝廷派へと変換した。[[戊辰戦争]]後、藩の保全に尽力、藩学講道館にて督学、[[1887年]][[大成教会]]を興した。長男は[[衆議院議員]]となった[[藤沢元造]](黄鵠)、次男は[[関西大学]]初の名誉教授となった[[藤沢章二郎]](黄坡)。小説家の[[藤沢桓夫]]は章二郎の長男。
 
「[[通天閣]]」や「[[寒霞渓]]」の命名者である。大阪市内の清華小学校や集英小学校・愛日小学校・桃園小学校・愛珠幼稚園も南岳が命名した。
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{{DEFAULTSORT:ふしさわ なんかく}}
[[Category:日本の儒学者]]
[[Category:幕末高松藩の人物]]
[[Category:明治時代の人物]]
[[Category:讃岐国の人物]]
[[Category:1842年生]]
[[Category:1920年没]]