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ウェールズ大公[[ルウェリン・アプ・グリフィズ]]は、もしウェールズの独立をあきらめたなら年1,000[[ポンド (通貨)|ポンド]]の年金とイングランド国内の所領を与えるという賄賂の申し出を拒絶し、1282年12月11日、罠にはまって戦死に追い込まれた。彼の弟ダフィズは兄の後を継いでウェールズ独立の戦いを続行したが、彼もイングランドの策略にはまり1283年6月にGarth Celynの高地ベラ山地で捕らえられた。
 
エドワード1世はGarth Celynを包囲して保護下におき、イングランド王家の住まいと、イングランド支配に対する抵抗を封じ込めるための本拠地として、カーナーヴォンと[[コンウェイィ]]([[ボーマリス城]])に城を築いた。現在の[[スノードン国立公園]]を囲むその他の要塞として、[[ハーレックス城]]がある。
 
カーナーヴォンが城を建てる地として選ばれたのは、[[メナイ海峡]]へSeiont川が注ぐ、河岸に位置することから戦略上重要であったためである。かつてこの地には古代ローマ人の砦があり、後に[[モット・アンド・ベーリー]]型の城が1090年頃初代チェスター伯ユー・ダヴランシュによって建てられた。当時の城は、両側が水辺であり、他方はカーナーヴォンの城壁に囲まれていた。19世紀、Seiont川に面した地域はカーナーヴォン港拡張のため埋め立てられ、現在はカーナーヴォン城の駐車場の一部となっている。
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2007年、カーナーヴォン城の『鷲の塔』のサンドアートによる複製が、[[オランダ]]の町[[ザンドフォールト]]の大通りに建てられた。
 
 
==外部リンク==
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*http://www.llywelyn.co.uk
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[[Category:ウェールズ]]
[[Category:イギリスの城]]
[[Category:イギリスの世界遺産]]
[[Category:世界遺産 か行]]