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* 7人兄弟の中で唯一の混血児として生まれる。小学生時代に母を亡くした上、自宅が火災で全焼。[[結核]]で2年間入院した後、約16歳まで養護施設を転々として育つ。中卒後、自動車の修理工場に勤務。
* [[1962年]] - 腕っぷしの強さを聞きつけた[[金平正紀]]にスカウトされ上京、金平ジム([[協栄ボクシングジム|協栄ジム]])入りし[[ボクシング]]に打ち込むが三年やって辞める、[[ライト級]]4回戦で3戦2勝1敗、[[リングネーム]]「'''城アキラ'''」<ref>[[東京スポーツ]]、2007年10月23日。</ref><ref name="BOXING MASTER" >[http://ameblo.jp/stanbox7/entry-10571906118.html 竹原慎二vsジョー山中・癌と戦う!|BOXING MASTER ]</ref>。
* [[1963年]] - 混血児をテーマにした映画『自動車泥棒』で[[力也|安岡力也]]たちと共演。
* [[1966年]] - [[グループ・サウンズ|GS]]グループ「4・9・1(フォー・ナイン・エース)」に城アキラの芸名で加入し、[[ボーカル]]を担当。翌年[[シングル]]『星空を君へ』でデビュー(録音後に加入のため、レコーディングには不参加)。68年脱退。
* [[1968年]] - [[内田裕也]]の誘いに応じ、ロックバンド「[[フラワー・トラベリン・バンド]]」の結成にボーカルとして参加。701970年[[アルバム]]『ANYWHERE』でデビューし、また同年、[[クニ河内]]とフラワー・トラベリン・バンドのメンバーである[[石間秀機|石間秀樹]]とのコラボ作『切狂言』を「クニ河内とかれのともだち」名義で発表。711971年には[[フラワー・トラベリン・バンド]]の2ndアルバム『SATORI』を[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カナダ]]で同時発売、[[エマーソン・レイク・アンド・パーマー|EL&P]]とツアーするなど国際的に活躍。
* [[1973年]] - 4月の[[京都]]公演を最後にバンドは解散。以後はソロに転じ、翌年アルバム「Joe」をリリース。
* [[1975年]] - 内田裕也が主催した「第1回ワールドロック・フェスティバル」に出演。トリでは[[ジェフ・ベック]]、[[フェリックス・パパラルディ]]([[マウンテン]])とのセッションも行った。