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平凡児朗 (会話 | 投稿記録)
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'''「喜びの琴」事件'''(よろこびのこじけん)は、[[文学座]]で上演予定されていた[[三島由紀夫]]の[[戯曲]]「[[喜びの琴]]」が、思想上の行き違いを理由に上演を中止され、それをきっかけに同座の幹部・中堅座員が集団脱退した事件。
 
[[1963年]]1月、[[福田恆存芥川比呂志]]、[[岸田今日子]]、[[芥川比呂志]]、[[小池朝雄]]、[[神山繁]]、[[加藤治子]]ら、有望な中堅俳優集団で脱退し[[福田恆存]]と組んで現代演劇協会]]附属・[[劇団雲]]を創立したのは、文学座にとって大きな痛手であった。そんな中、[[1964年]]正月公演用の戯曲が三島に委嘱され、「喜びの琴」が提供された。
そんな中、1964年正月公演用の戯曲が三島由紀夫に委嘱され、「喜びの琴」が提供された。
「喜びの琴」は、言論統制法を内閣が制定しようとしている時代を背景にしており、反共思想を固く信じる若い公安巡査を主人公にした、政治色の強い作品であった。
劇中に起こる「上越線転覆事件」は「[[松川事件]]」を連想させる内容であり、1963年9月に「松川事件」の首謀者とされた国労関係者20名の無罪が確定したばかりであった。
 
「喜びの琴」は、[[言論統制法]][[内閣]]が制定しようとしている時代を背景にしており、[[反共]]思想を固く信じる若い公安巡査を主人公にした、政治色の強い作品であった。劇中に起こる「[[上越線]]転覆事件」は「[[松川事件]]」を連想させる内容であり、同年9月に「松川事件」の首謀者とされた国労関係者20名の無罪が確定したばかりであった。
1963年11月、文学座内での話し合いの末、上映中止が決定されると三島由紀夫は文学座を退座し、直後に評論「文学座の諸君への公開状~『喜びの琴』の上演拒否について」(「朝日新聞」)を発表、事件の顛末を書くとともに痛烈な内容でしめくくった。
 
1963年11月、文学座内での話し合いの末、上映中止が決定されると三島由紀夫は文学座を退座し、直後に[[朝日新聞]]紙上にて、評論「文学座の諸君への公開状~『喜びの琴』の上演拒否について」(「朝日新聞」)を発表、事件の顛末を書くとともに痛烈な内容でしめくくった。
その後、矢代静一、松浦竹夫、[[賀原夏子]]、[[丹阿弥谷津子]]、[[中村伸郎]]、[[南美江]]、[[金子信雄]]らが脱退を発表。
 
1964年に脱退者によりグループNLT(1968年に[[劇団NLT]]として再編)が設立され、[[岩田豊雄]]([[獅子文六]])、[[三島由紀夫]]が顧問として迎えられた。
その後、[[矢代静一]]、[[松浦竹夫]]、[[賀原夏子]]、[[丹阿弥谷津子]]、[[中村伸郎]]、[[南美江]]ら十数名が次々と脱退を表明。[[1964年]]に脱退者によりグループNLT([[1968年]]に[[劇団NLT]]として再編)が設立され、岩田豊雄([[獅子文六]])、三島が顧問として迎えられた。NLTとはラテン語で「新文学座」を表すNeo Litterature Theatre の頭文字で、岩田豊雄(獅子文六)により命名された。
 
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[[Category:芸能|よろこひのことしけん]]