「封建主義」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2012-2}}
'''封建主義'''(ほうけんしゅぎ)とは、
'''封建主義'''(ほうけんしゅぎ)は、主に「'''[[進歩主義|進歩]]的'''」な立場から前[[近代]]的な[[権威主義]]、[[家父長主義]]的なシステムや風習を批判的に捉えた概念である。批判対象があたかも[[封建制]]時代のものであるかのような時代錯誤である、という意味合いが強く極めて[[スラング]]的な用語法であり、直接的な封建制との関係を指摘する場合は殆ど無い。批判的なレッテルであるため、このように評された者が自称するケースも同様に殆ど無い([[呉智英]])。
* 封土(収穫をうむような領土で、褒美や収入として臣下・家来に与えるもの)を与えたり受け取ったりすることによって成立する主人と臣下(家来)の関係<ref name="dd">デジタル大辞泉「封建主義」[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/201459/m0u/%E5%B0%81%E5%BB%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9/]</ref>。また、そうした関係が社会の基本なのだ、とする考え方・主張のこと<ref name="dd" />。
* 英語の[[:en:feudalism|feudalism]]の訳語として、([[封建制]]という訳語の代わりに)用いられることもある。→[[封建制]]も参照のこと。
 
== 概説 ==
[[:en:feudalism|feudalism]](英語)等の欧州語の訳語として封建制の意味で用いる用法もある。
日本においては、封建制社会の始期・終期・性格について多様な説が提起されている。始期については(1)[[律令制|律令体制]]の確立、(2)[[荘園|荘園体制]]の成立、(3)[[鎌倉幕府]]の成立、(4)[[室町幕府]]の成立、(5)[[安土桃山時代|豊織政権]]の成立、等々に集約できる。その社会の画期や終期について、[[太閤検地]]を一つの画期とみなして[[江戸時代]]の終わり、即ち[[明治維新]]までを封建時代とするのが一般的である。{{要出典|date=2012年4月}}
 
;呉智英の見解
日本においては、封建制社会の始期・終期・性格について多様な説が提起されている。始期については(1)[[律令制|律令体制]]の確立、(2)[[荘園|荘園体制]]の成立、(3)[[鎌倉幕府]]の成立、(4)[[室町幕府]]の成立、(5)[[安土桃山時代|豊織政権]]の成立、等々に集約できる。その社会の画期や終期について、[[太閤検地]]を一つの画期とみなして[[江戸時代]]の終わり、即ち[[明治維新]]までを封建時代とするのが一般的である。
なお[[呉智英]]は、封建主義という語は、主に「[[進歩主義|進歩]]的」な立場から前[[近代]]的な[[権威主義]]、[[家父長主義]]的なシステムや風習を批判的に捉えた概念だ、と説明し、批判対象があたかも[[封建制]]時代のものであるかのような時代錯誤である、という意味合いが強く極めて[[スラング]]的な用語法である、と説明し{{要出典|date=2012年4月}}、直接的な封建制との関係を指摘する場合は殆ど無い、と説明した{{要出典|date=2012年4月}}。<!--批判的なレッテルであるため、このように評された者が自称するケースも同様に殆ど無い{{要出典|date=2012年4月}}--> また、日本において「封建」の語が広く用いられたのは当の封建制時代に終止符が打たれた[[明治維新]]後の[[文明開化]]の時期と、[[第二次世界大戦]]の敗戦に伴う被占領後に[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の指示による体制変更がなされた時期であるだと言う{{要出典|date=2012年4月}}。いずれも強大な[[権力]]によって全[[国民]]が[[社会]]・[[文化]]・[[日常生活]]・[[思考]]の根本的変更を指令された時期であり、旧来の[[権威]]、[[価値観]]を排除し、「進歩」へのほぼ「思考停止」的な「追従」を求める際に「封建」「封建的」という語が積極的に用いられた、と言う{{要出典|date=2012年4月}}。また[[明治]]の日本は[[朝鮮]]や[[清]]に対して(本来の学術的な意味での)「封建制」の放棄を強く求め、これが[[内政干渉]]や[[軍事]]進出、[[戦争]]の大義名分の一つとされた。{{要出典|date=2012年4月}}
 
日本において「封建」の語が広く用いられたのは当の封建制時代に終止符が打たれた[[明治維新]]後の[[文明開化]]の時期と、[[第二次世界大戦]]の敗戦に伴う被占領後に[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の指示による体制変更がなされた時期である。いずれも強大な[[権力]]によって全[[国民]]が[[社会]]・[[文化]]・[[日常生活]]・[[思考]]の根本的変更を指令された時期であり、旧来の[[権威]]、[[価値観]]を排除し、「進歩」へのほぼ「思考停止」的な「追従」を求める際に「封建」「封建的」という語が積極的に用いられた。また[[明治]]の日本は[[朝鮮]]や[[清]]に対して(本来の学術的な意味での)「封建制」の放棄を強く求め、これが[[内政干渉]]や[[軍事]]進出、[[戦争]]の大義名分の一つとされた。
 
== 関連項目 ==