「分別説部」の版間の差分

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第三回仏典結集では、{{仮リンク|目犍連子帝須|en|Moggaliputta-Tissa}}の主導の下、こういった分析的なアプローチが強調された{{Citation needed|date=December 2010}}。上座部内の、このアプローチを採用する部派は分別説部に従うものとして再編成・呼称された。分別説部の集団に含まれなかったのは[[大衆部]]、[[説一切有部]]、[[正量部]]であり、これらの部派は分別説部によって「間違った考え方」をしているとみなされた、と目犍連子帝須の『論事』に記されている。
 
上座部では伝統的に、第三回仏典結集の後に分別説部は[[化部]]、[[飲光部]]、[[法蔵部]]、[[赤銅鍱部]]の四派に分かれたと考えられている上座部は赤銅鍱部に由来し、赤銅鍱部({{IAST|Tāmraparṇīya}})とは「スリランカの系統」を意味する。一方、化他部、飲光部、法蔵部は直接的には分別説部に由来せず、これらの部派の本来のつながりはそれぞれの[[律 (仏教)|律]]の類似性によって仮定されたものであると主張する文献もある
 
分別説部は自身を正統派の上座部だとみなしていたと主張されている{{Citation needed|date=November 2010}}。