「極楽寺 (鎌倉市)」の版間の差分

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[[江ノ島電鉄]][[極楽寺駅]]近くに茅葺きの山門があり、桜並木の参道を進んだ先には[[本堂]]、大師堂、転法輪殿(宝物館)、茶屋などが建つ。本堂前には忍性が薬作りに使ったとされる石鉢と石臼がある。本堂裏(西)には鎌倉市立稲村ヶ崎小学校があるが、同校の校地が往時の極楽寺の中心伽藍のあった場所であるとされている。小学校の西側のグラウンドのさらに西には極楽寺の奥の院(墓地)があり、忍性塔と呼ばれる大型の[[五輪塔]]をはじめ、多くの石塔が立つ。江戸期に作成された『極楽寺絵図』によれば最盛期には現在の極楽寺や小学校の建つ谷一帯が極楽寺の境内であった。そして現在江ノ電が走っている極楽寺川沿いの谷にはハンセン病患者など病者・貧者救済の施設があったと思われる。
 
* 本堂 - 須弥壇中央に不動明王坐像、向かって右に薬師如来坐像、左に文殊菩薩坐像を安置。堂内向かって右奥には忍性像、左奥には興正菩薩(叡尊)像を安置する。堂内は平素は非公開で、4月7日〜9日のみ入堂できる。上記の諸仏のうち、文殊菩薩像は鎌倉時代の作である<ref>『Gakken Mook 鎌倉仏像めぐり』(学研、2010)、p.61</ref>。
* 忍性塔 - 極楽寺奥の院の墓地にある、高さ357センチメートルの大型の石造五輪塔。塔自体には銘記がないが、納置品から[[嘉元]]3年([[1303年]])頃の建塔とわかる。平素は非公開で、公開は4月8日のみ。
* 五輪塔(伝・忍公塔) - 忍性塔のさらに奥向かって右方の墓地内に立つ石造五輪塔(非公開)。かつては北条重時の墓塔とされ、昭和2年([[1927年]])4月8日、国の[[史跡]]に指定された。しかし、昭和36年([[1961年]])の集中豪雨で塔が倒れた際の復旧工事に伴い、塔内から納置品が発見され、この石塔は極楽寺3世善願坊[[順忍]]と[[比丘尼]]禅忍の供養塔であることが判明した。これに伴い「北条重時墓」としての史跡指定は昭和37年([[1962年]])に解除された。
 
他に忍性塔の周囲には[[延慶 (日本)|延慶]]3年([[1310年]])銘の五輪塔(重要文化財)や、北条重時の墓塔と伝える宝篋印塔などがある。
 
== 文化財 ==