「伊達房実」の版間の差分
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[[永禄]]3年([[1560年]])、伊達城が築かれる。<ref>太田氏の支配下にあった岩槻城の支城としての伊達城の築城とされる年は永禄3年とされているが、伊達房実が築城したかどうかは史料にない。</ref>太田氏房が岩槻城主となるのに伴い岩槻城付家老となる。<ref>永禄10年([[1567年]])説、天正10年([[1582年]])説、天正13年([[1585年]])説がある。</ref>
[[天正]]17年([[1589年]])、華林山[[慈恩寺 (さいたま市)|慈恩寺]]に「南蛮鉄灯篭」([[埼玉県]][[さいたま市]] 市指定[[文化財]])を寄進。翌天正18年([[1590年]])、[[豊臣秀吉]]による[[
同年、[[徳川氏]]に召し抱えられ江戸三番町角屋敷を与えられた。
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