「識名園」の版間の差分

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真玉道は、識名園を通っていないため削除。また毎年恒例の行事を追記した。
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中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築されている。完成当時は中国皇帝からの使者([[冊封]]使)をもてなす、現在でいう[[迎賓館]]として使われた。「勧耕台」と称する展望台があるが、海を望むことはできない。これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれている。
 
正門から池に通ずる石畳道は[[真珠道]](まだまみち)と呼ばれ、かつては首里城と識名園とを結んでいた。現在では金城町の部分のみ石畳が残っている。
 
[[第二次世界大戦]]で園内のほとんどの建造物が破壊されたため、現在見られるものは復元(工期:1975~1995年)である。
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1941(昭和16)年、国の[[名勝]]に指定され、戦禍で壊滅後、1976年再指定。2000([[平成]]12)年には国の[[特別名勝]]に指定され、同年12月世界文化遺産に登録。
 
1999([[平成]]11)年以来、毎年11月3([[文化の日]])には園内で[[識名園歌会]](花ゆうな短歌会主催・那覇市教育委員会共催)が開かれ、短歌を楽しむ人達でにぎわう。また11月第4日曜日には、識名園友遊会(識名園友遊会実行委員会主催:真和志自治会長連絡協議会、那覇市教育委員会共催)が開催され、地域の伝統芸能発表が行なわれている
 
なお、敷地内に「育徳泉(いくとくせん)」という泉が湧く。そこに生える淡水産の紅藻類「シマチスジノリ」は国の[[天然記念物]]である。