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* 「本を出さない、アリーナで公演をしない<ref>ただし、竹内まりやのライブでは、バンドマスターとして日本武道館公演に参加しているほか、単独公演ではないものの、後述のとおり2010年10月31日のワーナーミュージックジャパン創立40周年記念コンサート(武道館)へ出演しているが、これらはあくまで「特例」であり、自身の公演においてはアリーナ会場を忌避している。</ref>、テレビに出ない」ことを公言している。1990年から1998年まで、雑誌 『CUT』([[ロッキングオン|ロッキングオン社]])にて連載を行っており、連載終了時には[[渋谷陽一]]から書籍化を打診されたが、「こういうものは、記憶の片隅に残っていればいい。」としてそれを断っている。また、[[日本武道館]]以上の規模の会場での公演を考えないことについては、日本武道館のような大会場の音響効果に疑問を持っていることと、末席から[[オペラグラス]]で見るような状態になるのは観客に失礼だからとしている。2010年10月31日に行なわれた「WARNER MUSIC JAPAN 40th. Anniversary ~100年 MUSIC FESTIVAL~」にて初めて武道館のステージに立ったが、後日自身のラジオにて、「あのパイプ椅子というのがどうしても駄目なんですね。武道館のあのスタンドのプラスティックの無機質さ、無機質性というか、あそこで3時間やったら本当に疲れます、お客さんが。だから、やっぱり駄目かなと思いました」と答え、今後も(自身の単独公演では)アリーナクラスへのステージには立たない旨を発言した<ref>サンデーソングブック 2010年11月14日放送分</ref>。一方、大阪[[フェスティバルホール]]には思い入れが強く、同ホールの建て替えについて強く反対<ref>このホール建て替えについて<!--放送日失念、録音テープ紛失、すみません-->サンデーソングブックで「ここを破壊するのはカーネギーホール、オペラ座を壊すと言っているのと同じ」「愚行」とまで述べていた。</ref>、建て替えのための閉鎖期限であった2008年12月には、同月だけで4回公演を同会場で開催した。東京では[[中野サンプラザ]]を中心に公演を行っている。また、コンサートでは「音の厚みやコシが違う」との理由で、コード接続型のマイクを使用し、ワイアレスマイクの使用は避けている。
* 大好物は鰻と蕎麦、ラーメン(有名店を巡ったり、[[コンビニエンスストア]]で有名店監修の[[カップ麺]]を衝動買いしてしまうほど)など。嫌いな食べ物は茄子、玉ねぎの味噌汁、鍋料理、ゴーヤなど苦味の強い物(なので珈琲も嫌い)、甘い物(全般ではないが、コース料理でもデザートはあまり口にしない。特にガムやチョコレート、菓子パンなどの類は全く受け付けず、これは実家が菓子屋だった影響)。
* オフや仕事の合間、半身浴の片手間には読書をしている。最も好きな作者は[[樋口一葉]]で、日記を含め全作品を読破している。なかでもお気に入りの作品は「[[にごりえ]]」で、数え切れない程読み返しているとのこと。以前には[[浅田次郎]]や[[レイ・ブラッドベリ]]の名を挙げていた時期もあり、本人は「若いころ、本よりもレコードに金をかけていたので完全に『読書コンプレックス』。」と謙遜しているが、実は、中学で洋楽に目覚めるまでは読書少年だったこと、ドロップ・アウトした高校・浪人時代、学校に行かない代わりに喫茶店で様々な本を読み漁っていた・・・など、音楽やレコードに関する資料に限らず、文献から知識や情報を得ることには非常に貪欲である。その守備範囲は広く、古典から海外SF作品、評伝、評論本や歴史書、哲学・思想書に至るまで読み込んでおり、博識である。これについても「博識でも何でもなく、[[サブカルチャー]]から出てきた人間が、評論家を標榜する輩と渡り合うには何らかの理論武装が必要だったから、否応なしに知識を詰め込んだだけ…」と述べている<ref>その一方で、ドロップアウトした高校から浪人時代、学校では決して学べなかったであろう、様々なものを吸収できた、として「自分自身にとって、一生の財産になっている」とも語っている。</ref>。[[漫画]]も好きであり、最近のお気に入りには『[[けいおん!]]』、『[[もやしもん]]』、『[[のだめカンタービレ]]』などの作品を挙げている<ref>[[J-WAVE]]『I A.M.』出演時のコメント(2011年8月)</ref>。毎週読んでいるコミック雑誌は『[[ビッグコミック]]』、『[[ビッグコミックオリジナル]]』。人に勧められて読むことが多い。
* 高校・浪人時代、暇さえあれば名画座などに入り浸り洋・邦問わず、映画を観ていたとの事。また一時は戦前・戦後問わず多くの日本映画を観ていた時期があった。現在でも暇をみつけてレイト・ショーなどに行っている。邦画で好きな映画監督は[[山中貞夫]]で、『[[人情紙風船]]』は人生で一番の一本に挙げている。
* 芸事好きだった叔父の影響もあり子どもの頃からの[[落語]]好き。[[古今亭志ん生 (5代目)|古今亭志ん生]]が特に当時からのお気に入りであり、演目の「さわり」を物まねできるほどに聴きこんでいる。そのため今でもホール落語会などへ出かけることもあるという。実際に小学生の頃、そんな様子を見た叔父が、懇意にしていた[[柳家三亀松]]の門下へ入門させようと画策し、父が猛反対して立ち消えになった、というエピソードがある程である<ref>「鹿島Presents [[笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ]]」([[ニッポン放送]])2011年8月7日放送分。この叔父の存在は大きく、嗜好や価値観など非常に影響を受けているという。</ref>。DJやステージ上のMCなどの軽妙な語り口にはそうした片鱗がうかがえる。他には[[春風亭柳昇]]、現役では[[古今亭圓菊]]、[[鈴々舎馬風#5代目(当代)|鈴々舎馬風]]や[[三遊亭圓歌#3代目|三遊亭圓歌]]なども好んで聴いており、最近のお気に入りとしては[[春風亭昇太]]を挙げている<ref>スタジオジブリ『熱風』2007年4月号。好きな落語家の傾向について「『明るい狂気』をお持ちの方々ばかり…」と説明している。</ref>。演劇や文楽などにも造詣があり、公演に出かけていくことがある。また一時は[[好角家]]としても知られていたが、最近はあまり話題に出されなくなった。