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Trendneed (会話 | 投稿記録)
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ミヒャエル・ラントマン、エーリッヒ・ロータッカー、わけてもヴァルター・シュルツらが注目した仕事であり、[[エルンスト・カッシーラー]]の『象徴形式の哲学』、『人間』、[[ハンナ・アーレント]]の『精神の生活』もこの系列の仕事と看做される。
 
[[マルティン・ハイデッガー|ハイデッガー]]も[[カール・ヤスパース|ヤスパース]]もそれぞれ『世界像の大学における講義では哲学的人間学に好意的に触れていた代』期もあったが主著『[[存在と時間]]』(哲学的人間学への言及は少なくない)において決別の意を明らかにした。[[カール・ヤスパース|ヤスパース]]も『世界像の時代』『現代の精神的状況』で賛否の態度を示した。ハイデガーは哲学的人間学には否定的であり、やがて離れていった。
 
当時のドイツの動向は、日本国内では[[三木清]]の『構想力の論理』の中にも紹介がある。国内で、この思想の流れの中で人間学を模索したのは、京都学派の[[高山岩男]]の『哲学的人間学』が代表的である。彼の後、この思想的な手がかりは、教育学の世界に引き継がれ、1970年代、ドイツで[[オットー・フリードリッヒ・ボルノウ]]らを中心に[[ディルタイ]]系の[[教育学]]研究者の間で、教育人間学、人間学的教育学を巡る議論が活発化し、人間学への関心が国内でも再炎した。たとえば、[[森昭]]の『教育人間学』を筆頭に、下程勇吉などにこの方面の著作がある。