「ヴェネツィア派」の版間の差分

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== 概要 ==
当時ヴェネツィアは東方、ヨーロッパ間の貿易によって富を得ていたことからイタリア・ルネサンス美術は都市国家として発達した中部・北イタリアで主に展開し、ローマと同様盛期ルネサンスの舞台として繁栄を極めていた。15世紀に入ってヴェネツィアは内陸へ進出し、それと同時にイタリア美術と合流した。初めは国際ゴシック美術が、後にフィレンツェ・ルネサンスの新様式がもたらされた。一方でヴェネツィアは伝統的に、突出した個性を嫌う都市だったため、ヴェネツィアに同化しきれない個性を持つ画家は都市を出ていくこととなった。例としてクリヴェッリや、[[ロレンツォ・ロット]]が挙げられる。<ref>石鍋真澄監修『ルネサンス美術館』小学館、2008年、176-180ページ。</ref>また、ヴェネツィア派の画家たちはヴェネツィア出身の人間に限らず、当時発達した芸術があったヴェネツィアに周辺諸国から集まったものと思われる。ヴェネツィアの領土には当時パドヴァ、ヴィチェニツァ、ヴェローナ、プレジア、ベルガモといった都市が含まれ、これとはまた違うそれぞれ独自の伝統にのっとった絵画があった<ref>ピーター・ハンフリー著、高橋朋子訳『ルネサンス・ヴェネツィア絵画』白水社、2010年、9ページ。</ref>。
ヴェネツィアは初めから移民の街であった。多くの有力な家は他方から来たもので、それらはイタリア全土もしくはアドリア海域からきた人々であった。それらも美術に影響を及ぼしている<ref>Blake de Maria, pp33-34.</ref>。
 
== 特徴 ==