「望月優子」の版間の差分

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== 来歴・人物 ==
[[1930年]]、東京市立忍岡高等女学校(現・[[東京都立忍岡高等学校]])を中退し、'''望月美恵子'''(後に望月優子と改名)の芸名で[[ムーランルージュ新宿座]]などで初舞台を踏む。1942年[[川端康成]]の媒酌で作家の[[鈴木重雄]]と結婚。戦後は[[滝沢修]]らが創立した[[劇団民藝]]に参加。1950年には[[松竹]]と契約し映画にも数多く出演。「日本の悲劇」、「おふくろ」、「米」などで庶民的な母親役を、1958年「米」で[[ブルーリボン]]主演女優賞受賞。[[三益愛子]]と並ぶ「母物映画」女優と呼ばれた。
 
[[1971年]]の参院選に社会党公認で全国区から出馬し初当選。[[1977年]]の参院選で落選するまで1期務めた。