「片岡仁左衛門 (11代目)」の版間の差分
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==人物==
いわゆる天才肌の名人だったが、個性が強い上に気性が激しく、[[市川團十郎 (9代目)|九代目市川團十郎]]や鴈治郎と衝突を度々くり返した当時の歌舞伎界でも指折りの要注意人物でもあった。<br>たとえば、團十郎の態度が癪にさわると、團十郎の前で傘を開いて[[助六]]の見得を切る(『助六』は市川宗家の[[お家芸]])。相方の口跡が気に入らないと、嫌みに台本を手に舞台に上が
<!--[[市川團十郎 (9代目)|九代目市川團十郎]]が関西で芝居を行った際、上方の主だった役者が團十郎に同座する中、仁左衛門だけは同座せず、一人、無人芝居に加わり、劇場の前で「大敵とて恐るるなかれ。小敵とて侮るなかれ」と大書した幟を立てて、士気を鼓舞するなど、負けず嫌いな面もあれば、-->そうした反面、自らも幼くして父という後ろ盾を失い恵まれない環境から大成した人物であるだけに、立場の弱い者には損得勘定抜きで援助するという義侠心に富む面もあり、自身と同様に父と死に別れた[[實川延若 (2代目)|二代目實川延若]]や[[澤村宗十郎 (7代目)|七代目澤村宗十郎]]に特に目を掛け、鍛えて引き立てて大成させたのも十一代目の功績である。
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