「Wikipedia:井戸端/history20140727」の版間の差分

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Chokorin (会話 | 投稿記録)
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:かのどちらかでしょう。個人的にはどちらでもいいです。しかし、「改名議論に参加していない読者と将来的な編集者のことを第一に考える」というのなら、答えはおのずから定まっていると思います。一番よいのは、「九州の役」を推す人たちが「九州役」だけを出典にして「九州の役」を立項してみることです。それでどれだけ記事が発展させることができるのか、まずは御自分が体験・検証してみてはどうなのかと思います。--[[利用者:Chokorin|Chokorin]]([[利用者‐会話:Chokorin|会話]]) 2012年4月26日 (木) 10:48 (UTC)
:{{コメント}} 英語版には[[:en:Wikipedia:Content forking#POV folks]]というガイドラインがあり、同一の主題を複数の観点の記事に分割することは基本的に禁止されているのですが、今回の例はそれに当てはまるかと思います。しかしそれ以前に、[[ノート:九州の役]]の経緯を見る限り、問題を[[Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない|腕ずくで解決しようとした]]ように見えてしまいますね。仮に分割するにしろ、経緯から言って合意の上で行うべきだったのでは。--[[利用者:Kurz|Kurz]]([[利用者‐会話:Kurz|会話]]) 2012年4月26日 (木) 12:03 (UTC)
:{{コメント}} 自分としては、根本的な疑問として、「なぜ、この記事が『九州の役』でなくてはならないのか」というのが、あるんですね。「[[九州の役]]」は、「[[Wikipedia:記事名の付け方]]」で示された5方針「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」のうちのどれにもあてはまらないうえに、記事本文そのものも「九州攻め」の呼称で扱っている出典群に依拠しているわけですから、記事名を「九州の役」のままにしておく理由(言い換えれば、改名提案者である秋田城之介さんにも合意していただいた「九州攻め」ではいけない理由)が何ひとつ見いださせないのです。角川書店『角川新版日本史事典』(1997)、山川出版社『日本史小事典』(2001)、平凡社『日本史事典』(2001)などでも見出し語として「九州攻め」が用いられており、その点では何の不都合もないわけです。「九州の役」が固有名詞で「九州攻め」は一般名詞だ——という指摘もありましたが、現実には、専門家はそんな区別をしていないのであって、もし、その理屈が正しいのだとしたら見出し語としては「九州の役」を用いる事典があってもよいはずなのに、実際は皆無なわけですよね。そんなふうに、その都度その都度方針文書にもない自分ルールを並べ、その挙げ句「投票で決着つけないことには認めない」というのも、私からすれば「腕ずくの解決」としか見えません。そして、公式ルールのみならず自分ルールからさえ外れた「九州の役」という記事名に、そこまでしがみつかなくてはならない理由もよくわかりません。そこまでしがみつくんなら自分で記事を起こすなり、大幅加筆するなり、あるいは全面改稿すればいいのにと思うのですが、それは絶対なさらないで、記事の加筆は基本的に他人任せのようにみえます。もしかしたら、「『九州の役』という一種マイナーな用語を(マイナーゆえに)もっと普及させたい」というような意図がおありなのかと勘ぐりたくもなります。今回の件については自重すべき点が私にもあったとは思いますが、「なぜ、この記事が『九州の役』でなくてはならないのか」という根本的な疑問は消えることがないだろうと思います。--[[利用者:Chokorin|Chokorin]]([[利用者‐会話:Chokorin|会話]]) 2012年4月26日 (木) 13:23 (UTC)
 
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