「駿河湾地震 (2009年)」の版間の差分

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=== 東海地震との関連 ===
[[ファイル:ShizuokaokiJishin-Ishigaki.jpg|thumb|left|200px|崩壊した駿府城址の石垣]]
この地震により、[[東海地震]]に関する初期段階情報における名称や位置付けなどが変更されて以降初となる[[東海地震に関連する情報|東海地震観測情報]]が出された<ref>『 新基準で初の「観測情報」…静岡沖地震 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]』[[読売新聞]]、[[2009年]][[8月11日]]。</ref>。また、[[1979年]]に気象庁に「地震防災対策強化地域判定会」が設置されて以降、史上初となる臨時の委員打合せ会が招集された<ref>石間俊充・堀江優美子「判定会初の緊急会合――集合迅速でも結論に3時間超」『[[讀賣新聞]]』47940号、14版、[[読売新聞東京本社]]、[[2009年]][[8月12日]]、3面。</ref>。委員打合せ会のメンバーらにより観測値が検討された結果、「想定される[[東海地震]]に結びつくものではない」<ref>気象庁『[http://www.jma.go.jp/jma/press/0908/11d/toukai200908111120.pdf 東海地震に関連する情報第3号]』[[2009年]][[8月11日]]。</ref>と発表された。
 
今回の地震は東海地震の予想震源域の中で発生したため、当初より東海地震との関連性が取り沙汰された。しかし、東海地震が[[ユーラシアプレート]]と[[フィリピン海プレート]]との境界([[駿河トラフ]])で発生する[[プレート間地震]]である一方、今回の地震の震源はフィリピン海プレートの内部であり、駿河湾に沈み込む同プレートで起きた[[スラブ内地震]]と推定されたこと、さらに地震の規模が大きく違う(東海地震は推定でM8.0前後)ことなどから、異なるものだと判断された。