「ヴァロワ=ブルゴーニュ家」の版間の差分

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オルレアンの戦いに[[ジャンヌ・ダルク]]が登場したことにより、フランス側は劣勢を一気に回復し、[[ランス (マルヌ県)|ランス]]にまで軍を進め、シャルル7世は名実共にフランス王としての戴冠を果たす。善良公は自らが参加しなかったものの、使節を送り和平を画策する。シャルル7世もそうであったが、ジャンヌ・ダルクは強硬姿勢を採り、独自に北方に軍を進め、[[1430年]]の[[コンピエーニュの戦い]]でブルゴーニュ軍の捕虜となった。ジャンヌと会見した善良公は、ジャンヌをイングランドに引き渡した。ジャンヌは[[1431年]]に火刑に処せられるが、善良公は完全にイングランドを見放していた。シャルル7世の長年の工作の成果が出てきたからである。
 
それが一気に現れたのが、[[1435年]]の[[アラスの和平]]である。当初はフランス・ブルゴーニュ・イングランドの三者会談であったが、イングランド使節は早々に帰国し、フランス・ブルゴーニュのみの会談となった。この会談ではシャルル7世の懐刀とも言うべき[[アルテュール3世 (ブルターニュ公)|アルテュール・ド・リッシュモン]]の工作が実り、シャルル7世と善良公の間に和平が成立したのである。内容は、ジャン無怖公殺害に関するシャルル7世側の謝罪、善良公1代限りの臣従免除、[[ピカルディ]]と[[ブローニュ]]の獲得であった。フランス・ブルゴーニュ同盟の成立にベッドフォード公は憤死した。
 
そしてフランス・ブルゴーニュ同盟の一環として、善良公とイザベルの嫡子[[シャルル (ブルゴーニュ公)|シャルル]]とシャルル7世の娘カトリーヌの結婚式が[[1440年]]に行われた。
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