「イキケ地震」の版間の差分

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'''イキケ地震'''(イキケじしん)は、[[1877年]]に[[チリ]]北部、[[イキケ]]沖で発生した[[巨大地震]]である。[[太平洋]]の広範囲に[[津波]]被害を起こした
 
9年前にはこの[[地震]]の[[震源域]]に隣接した北部で[[アリカ地震]]があった。
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この地震は[[ナスカプレート]]と[[南アメリカプレート]]との[[収束型境界]]の[[沈み込み帯]]で発生し、震源域では全長約420km<ref>Comte, D.; Pardo M. (1991): Reappraisal of Great Historical Earthquakes in the Northern Chile and Southern Peru Seismic Gaps. ''Natural Hazards'' '''4''': 23–44.</ref> - 450km<ref name="Okal">{{PDFlink|[http://www.earth.northwestern.edu/people/emile/PDF/EAO178.pdf Okal(2006)]}} Okal, E.A.; Borrero J.C. and Synolakis C.E. (2006): Evaluation of Tsunami Risk from Regional Earthquakes at Pisco, Peru. ''Bulletin of the Seismological Society of America'' '''96''' (5): 1634–1648.</ref>に亘って[[断層]]破壊が発生したと推定された。
 
この時期、イキケはまだペルー領土であり、その南の太平洋沿いはボリビア領アントファガスタ県であり、チリの北端はさらに南にあった。チリとボリビアの間では[[アタカマ砂漠|アタカマ]]国境紛争があり、[[1874年]]の条約で1877年に南緯24度線に[[国境線]]が引かれ、その北がボリビア、南がチリとされた。この条約でボリビアはチリの企業が[[硝石]]採掘を行う場合、税金を課さないとされた。

しかし、イキケ地震による被害の大きかったボリビア領アントファガスタ県では[[1878年]]にチリの採掘会社に対する課税を行ったチリ企業がこれを拒否するとボリビアは硝石の輸出を禁止し紛争に発展、[[太平洋戦争 (南米)|太平洋戦争]]が勃発した。この結果、チリは大きく領土を北に伸ばし、ペルー南部の一部とボリビア太平洋岸のすべてがチリに併合され、両国に大きな政治的動揺を起こした。
 
== 津波 ==