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2011-12シーズンの記録加筆
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{{MedalGold | [[バンクーバーオリンピック|2010 バンクーバー]] | ラージヒル団体}}
{{MedalCompetition | [[ノルディックスキー世界選手権]]}}
{{MedalGold | [[2007年ノルディックスキー世界選手権札幌大会|2007 札幌Sapporo]] | ラージヒル団体}}
{{MedalGold | [[2011年ノルディックスキー世界選手権|2011 Oslo]] | ノーマルヒル団体}}
{{MedalGold | [[2011年ノルディックスキー世界選手権|2011 Oslo]] | ラージヒル団体}}
{{MedalSilver | [[2011年ノルディックスキー世界選手権|2011 Oslo]] | ノーマルヒル個人}}
{{MedalCompetition|[[スキーフライング世界選手権]]}}
{{MedalGold|[[スキーフライング世界選手権|2008 オーベルストドルフOberstdorf]]|団体}}
{{MedalGold|[[スキーフライング世界選手権|2012 Vikersund]]|団体}}
{{MedalBottom}}
 
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18歳だった2002-2003シーズンから[[スキージャンプ・ワールドカップ]]に参戦。表彰台に2回上がるなど活躍し、総合16位となった。しかしその後の2シーズンはあまり好成績は挙げられず、2003-2004シーズン総合21位、2004-2005シーズン総合40位に終わった。
 
2005-2006シーズンは好調で、2006年2月4日、[[ヴィリンゲン (ウプラント) |ヴィリンゲン]]([[ドイツ]])でワールドカップ初優勝、好調のまま[[トリノオリンピック]]に臨んだ。
最初のノーマルヒルこそ11位に終わったが、ラージヒルでは同僚[[トーマス・モルゲンシュテルン]]に次いで銀メダル、団体戦では金メダルを獲得した。このシーズンのワールドカップ総合で7位となっている。
 
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総合3位で臨んだワールドカップ最終戦の[[レタウニツァ・ブラトウ・ゴリシェク|フライング]]では23位に終わって[[アダム・マリシュ]]に抜かれ、総合4位に甘んじた。
 
2011-12シーズンは開幕から3連勝するなど絶好調でジャンプ週間第3戦にはシーズン5勝目をあげるなどランキング首位を走った。しかしそれ以後はやや成績が伸びず、結局総合順位では[[アンデシュ・バーダル]]、[[グレゴア・シュリーレンツァウアー]]につぐ3位となった。
ワールドカップ通算5勝(2位9回、3位7回)。
 
助走で手を広げる姿勢がトレードマーク。
ワールドカップ通算510勝(2位911回、3位79回)。
助走で左右に大きく手を広げる姿勢がトレードマーク。
 
== 脚注 ==