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'''The Heart'''(ザ・ハート)は[[井口一彦]]が結成したバンド。井口の迫力あるボーカルである程度の成功を収める。広島平和コンサートに複数回参加。1992年解散。
 
== メンバー ==
* '''[[井口一彦]]'''(いぐち かずひこ、{{和暦|1966}}[[11月23日]] - ) - [[ボーカル]]
* '''[[藤尾領]]'''(ふじお りょう) - 2代目[[ギター]]
* '''後藤進''' (ごとう すすむ) - [[ベース (弦楽器)|ベース]]
* '''草野憲一''' (くさの けんいち) - 3代目[[ドラムセット|ドラム]]
 
== 元メンバー ==
* '''[[斉藤律]]''' (さいとう りつ、{{和暦|1967}}[[3月15日]] - ) - 初代ギター
1989年脱退。
* '''辻武春''' (つじ たけはる) - 初代ドラム
1989年脱退。
* '''五十嵐公太''' (いがらし こうた) - 2代目ドラム
== ディスコグラフィー ==
=== アルバム ===
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*『黄熱』 同上/1989年11月28日発売
*『アカシア』 同上/1991年7月25日発売
*『de novo』 井口一彦ソロアルバム/1994年5月25日発売
*『a Chronicle of THE HEART』 THE HEARTベストアルバム/1996年7月25日発売 
 
== エピソード ==
*アマチュア時代、コンテストに出まくっていたTHE HEART。しかし1984年の[[YAMAHA]] [[EAST&WEST]]ではブロック大会どころか予選で敗退し、知り合いのバンドを[[中野サンプラザ]]に観に行く事となる。この屈辱感からか、翌年からの「コンテスト荒し」が始まった。
*1984年のYAMAHA EAST&WESTには、後の"中期"~"後期"のTHE HEARTの要的存在[[藤尾領]]率いる[[A-JARI]]も出場していた。
*コンテストで優勝をおさめた彼らだが、当時の大手レコード会社7社からのオファーはあったものの、プロダクションからの誘いはなかったという。そういった事実を隠されたままYAMAHAからの誘いがあったが、席上で他社からのオファーがあった話を聞いた井口はYAMAHAの誘いを全面的に断った。
*THE HEARTのファーストアルバム『CHAPMAN』は、[[ジョン・レノン]]を銃殺した犯人、[[マーク・チャップマン]]を題材にしたものであるが、井口本人も、当時のバンドのメンバーも[[ジョン・レノン]]や[[ビートルズ]]には興味はなかったらしい。
*レコード会社はMother&Childrenであったが、同社は後に[[MOON RECORDS|アルファ・ムーン]]と合併し[[MMG]]となり、その後[[イーストウエスト・ジャパン]]と社名変更し、[[ワーナーミュージック・ジャパン]]に吸収合併されている。
*当初のデビューはもっと早い時期を予定していたが、[[レッド・ウォーリアーズ]]のデビューが重なってしまい、伸ばし伸ばしにされてしまった。しかし、レッド・ウォーリアーズとの[[新宿LOFT]]でのライヴがあった事により所属事務所からの直接の交渉を受ける事になった。
*当時ライヴで使用していた[[オベーション]]は[[尾崎豊]]所有のものだった。
 
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