「ディディエ・オリオール」の版間の差分

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1999年末でのトヨタの撤退に伴い、2000年オリオールは[[セアト]]に移籍するがセアト・コルドバは戦闘力が低く、セアトは同年でWRCを撤退。2001年は[[プジョー]]に移籍、カタルーニャで優勝するもののマシン開発をめぐって、担当エンジニア、マリオ・フォルナリス(後に三菱に移籍)と対立してチームを離脱することとなる。2002年シーズンはプライベーターとしてカローラWRCでモンテカルロに参戦。翌2003年は[[シュコダ]]にシートを得るものの、同チームの活動縮小のあおりでシートを失った。しかし2年後の2005年にプライベーターのプジョー206 WRCでモンテカルロに出場。しかしリタイアに終わる。
 
2008年からはインターコンチネンタルラリーチャレンジに参戦。[[イタリア]]のプライベーター、グリフォーネから[[フィアット・プント]]を駆りポルトガル、ロシア、サンレモの3戦に出場。しかし3戦ともリタイアに終わる。
2009年はマシンをプジョー207 S2000に替え開幕戦モンテカルロに出場するも、SS1で早々にリタイアとなった。
 
通算20勝のうち13勝がターマックラリーである。特に母国フランスのツール・ド・コルスでは6勝をあげている。グラベルラリーは極悪路のサファリや雪とグラベルのスウェーデン、ぬかるんだ路面のイギリスなど特殊で滑りやすいラリーは苦手とした反面、アルゼンチンやポルトガルなどのスムースグラベルでは強烈なスピードを見せ優勝を経験するなど強さを発揮した。